STIR.04
「目が覚めたか」
「はい」
「すまん」
「謝るのはわたしのほうです」
長い悪夢を見ていた。目を覚ましたら、真っ白いベッドの上だった。傍らには伊丹さんが静かに佇んでいた。彼は眉間に皺を寄せ、苦い顔をしてわたしに謝った。
「お前のお陰で犯人は逮捕できた。捕まえたのは亀山だけどな。…だがお前を傷つけてしまった。本当に申し訳ない」
「謝らないでください。頭あげてください」
それでも彼は頭を上げない。わたしは起き上がって、彼の肩に触れようとするも、腹部の痛みにすこし呻く。それに気づいた伊丹さんは、ようやく顔を上げた。
「…本当に良かった、あとのことは別の奴に頼んである。入院ついでに悪いところ全部治してもらえ」
そう言い残すと、伊丹さんは足早に部屋を出て行った。入れ違いに、特命係のお二人が入ってきた。
お加減どうですか、と聞かれ、刺されたか撃たれたかしたわたしの腹部は、力をいれるとまあまあ痛んだ。すこし呻くと、無理なさらないでください、と諭される。
「あの、えっと、事件のことなんですが、」
「ええ、僕たちはそれを説明に来ました」
座らせてくださいね、と杉下さんは椅子に座る。亀山さんは周りを確認した後、警部の隣に座った。
要約すると、先日の傷害事件はこのようなことらしい。
わたしを撃ったのは、アキカネ拳銃殺人事件をもみ消そうとしていたX社の人間であった。
そもそも、アキカネ拳銃殺人事件はX社の人間が、リストにはない拳銃をマフィアに流した結果起こった事件であった。
X社とあるマフィアとの関わりを隠すため、詳細を知っていた全ての役員が殺された。そして殺したのは、今回の実行犯の「刑事」だった。実行犯を仮にAとしよう。Aは当時の捜査チームに所属しており、数々の隠蔽工作を行い、この事件の犯人の身代わりを用意する。
それが今回容疑者に仕立て上げたX社元社員、つまりわたしが聞き込みをした男(=B)だ。彼は会社で落ちぶれていて、リストラ寸前だったが、Aに大金を渡されたので、喜んで会社を退職した。だが怪しいと感づき、護身用にナイフを持ち歩いていたらしい。
Aは、Bに全ての罪をなすりつけて、マフィアに殺させるつもりだった。だがそれも一課の捜査線上に上がってしまった。これでは隠蔽ができなくなる。困ったAは、捜査の一環で、正当防衛としてBを処分するつもりだったようだ。
Aはベテランの刑事で、そのマフィアと深い繋がりがあったらしい。調べてみると、AとX社の会長は兄弟であった。
「…という訳で、残念ながらさんの負傷は完全に無駄なことでした」
「あはは、そのようですね」
「しかし、あなたがBの身代わりになったことで、Aを亀山君が逮捕することができました」
「…お役に立てましたかね」
「ええ、大変に」
お陰で今、一課は犯人をずっと傍で飼っていたことが発覚して大騒ぎであるらしい。また、一課とは関係ない人間を捜査に巻き込んで負傷させたこともあり、伊丹さんはこんなところに居る場合ではないようだ。
「ならなぜ、こんなところに…」
「ちゃんのことが心配で、ずーっと待ってたんだよ、ここで」
「じ、事件からどのくらいの時間が経っているんですか?」
「およそ2日、ですねえ」
目覚めないわたしを、ずっと待っていてくれた。何も言わなくても、伊丹さんのそれだけで十分だった。
「しばらく一課や資料課の皆さんは、お見舞いに来られないかと思いますが、このような事情ですので…」
「分かってます、忙しい時期に手伝えなくて申し訳ないのはこちらのほうです」
「ま、伊丹の無理難題から解放された休暇だと思って、ゆっくり休んで」
何かあったら呼んでください、そう杉下さんはおっしゃって、電話番号の書いた紙を渡してくれた。
特命も忙しい中、きっと説明するためだけにここに来てくれたんだと思う。わたしが目覚めるのはいつになるかわからないのに。色んな人に迷惑を掛けていて、心が痛かった。
入院中、新聞やテレビの報道は、先日杉下さんがおっしゃっていた通りであった。毎日新しい情報が流れており、わたしはとんでもない事件の一端に関わってしまったと、内心びくびくしていた。そしてこれもまた、杉下さんの予想通り、見舞いにはほとんど誰も来なかった。交通課の同期が着替えなどを準備して持ってきてくれたぐらい。そのときに、先日怒っていた理由を聞いたのだった。
入院期間は退屈すぎて、人に会わないのでとても寂しかった。何度も退院をせがんだが、完治するまでは出させてはくれず、あの日から約2ヶ月後、ようやく退院となった。
「長い間お世話になりました」
「もう戻ってこないでね~」
仲良くなった看護師さんは笑って送り出してくれた。わたしも笑顔で応える。
ようやく家に帰れる、そして仕事に復帰できる。それだけでわくわくした。資料課に居れるのかどうかはわからないけれど、入院生活よりはきっと精神衛生上、良い生活ができると思った。
「」
病院を出ると、伊丹さんが待っていた。退院の日は誰にも伝えてないのに、何故だろう。
彼はわたしの荷物を奪い取ると、そそくさと車に乗り込んだ。慌てて追いかけるわたし。
「家まで送る」
「は、はい」
車を走らせている間、伊丹さんは無言だった。助手席から少しだけ彼の様子を伺う。何だかやつれた気がする。2ヶ月ぶりに会えた嬉しさの反面、そこにある見えない溝が痛かった。
「…お前は、今どう思ってる?」
「犯人のことも、一課のことも、怒ってないし、恨んでないです」
「…お世辞はいい。本音を言え」
信号が赤になり、車が止まる。伊丹さんがその鋭い目をわたしに向けた。
「嬉しかったです」
わたしは本音を言うことにした。
「犯人を追いかけるべきところで、わたしの傍にいてくれたこと」
伊丹さんは未だ苦い顔で、わたしを見ている。
「…お前が言った”お願い”って、何だったんだ」
彼は同じ顔をしたまま、その恥ずかしいことを真剣に問うてくる。わたしはどんどん恥ずかしくなってきた。よく考えれば、いまはわたしと彼のふたりしかここに居ない。
「死ぬかも、って思ったから言おうと思えたんです。だから今は言えません」
「お前顔赤くなってきたぞ。まだ調子悪いんじゃねェのか?」
「ち、ちがいます、」
「…どうしても言ってくれないのか」
「…笑わないでくれますか」
「笑わない。絶対」
鈍感なのだ。わたしも鈍感だった。あの瞬間まで分かっていなかった。だから今もまっすぐに、その瞳をわたしに向けてくる。
「抱きしめて、ほしかったんです、」
「…え」
「な、もう、いいじゃないですか、このことは忘れてください、ほら信号、青ですよ!」
車が発進し、その瞳は正面を向く。わたしは恥ずかしさのあまり左の窓ばかり見つめていた。そこからは終止無言で、何を離そうにも気恥ずかしさでいっぱいだった。
「着いたぞ」
「はい」
車を降り、荷物を受け取ろうとトランクに駆け寄る。伊丹さんも降りてきて、トランクを開けてくれた。
開ききったトランクのドアの陰で、彼はわたしを腕の中へ閉じ込めた。彼の横顔がわたしの頬に当たる。
「無茶させて悪かった」
彼は小さな声で、わたしにまた謝った。
「あと俺は、お前を絶対死なせたくなかった」
「…わたしの代わりなんていくらでも」
「いねェよ、バカ野郎」
語気が強くなる。
「お前が大切なんだよ」
いままで聞いたどの言葉より、優しい声で、彼はわたしにそう言った。
嬉しくて、わたしは涙を流す。こんな涙は初めてだった。彼は腕を緩め、わたしの顔を見遣ると、見たことのない柔らかい顔を見せた。そして、許せ、。そう言った。
「好きになっちまったからな」
問答無用だ。
彼はわたしに唇を落とした。煙草の苦い味が、わたしをまた赤くさせた。
kiss in the dark
20140507