ここは紀州にある、小さな鉄砲衆の里、「薄荷」である。 同じ地域にある雑賀や根来に比べれば、規模は大層小さなものだが、その実力は多くの武将に知れ渡っていた。 頭領を中心に、よくまとまっているこの傭兵の里も、今や魔王の手に掛かろうとしていた。小さな里でこの魔手を逃れられたものはない。薄荷は滅亡する、それはすぐに現実になろうとしていた。 終焉の序 終にこの里にも、来たか。 ―――織田、信長よ。 皆、勝てぬことは理解している。潰されるのも覚悟の上だ。だが魔王が畏れる傭兵鉄砲衆の底力、見せつけてやろうぞ。 「皆の者、行くぞ! 我ら薄荷衆の意地を信長に見せん!」 「おお!」 頭領の言葉に、衆の者達は奮起した。勿論私もである。 薄雲掛かった空はまだ明るく、気候も丁度良い。兵の士気も高く、皆一丸となって戦う所存である。 普段は傭兵として戦う我らだが、今回は雇主となる武将は居らず、自分達だけで戦わねばならない。 だから、私が彼等を守るのだ。家族のように過ごしてきた兵達を、失いたくない。 いくら滅ぼされる運命だとしても、一人でも多く生き残らせたいのだ。 私は数年前までの記憶がない。 住んでいた村が戦場となり、村の者は皆居なくなってしまったらしい。これも後から頭領に聞いた話だ。 本当かは分からないけれど、頭領が言うのだからそうなのだろう。別に嘘でも構わない。頭領に拾われ、この里で暮らしてきたのが私の人生の全てなのだから。 頭領に助けられたこの命。主のために、忠義を尽くそう。主の望みは私が叶えよう。 頭領は「意地を見せよ」などと言っているが、本当は一人でも多く生きてほしいのだ。里を作り、薄荷衆として戦ってきた仲間が一番大事。 だから私はそれを守るために戦うのだ。 私の手には黒光りする紀州国友。この里で一、二を争う威力がある銃だ。これは雑賀の頭領、孫市兄様がくれたもの。 雑賀は既に魔王の手に落ちたが、兄様は生き延びておられる。 我が薄荷より規模も大きく力がある雑賀だが、生き残った武将は数少ない。 彼は今は信長の手から逃れるため、さすらいの毎日だ。この銃は先日堺で偶然お会いしたときに託されたものである。 孫市兄様はよく薄荷の里に遊びに来ており、私をかわいがってくれた。 記憶のない私に、新しい名をくれたのは兄様である。(我が頭領はそういうことは苦手だと言って、私には暫く名前が無い時期があった。) それから私は兄のように慕い、兄様と呼び、彼から沢山の武芸や策を学んだ。 堺の商人街に居た孫市兄様は、自らの銃を私に差し出した。 「……俺の仇を…撃ってくれ……」 涙ながら語る兄様の顔が目に浮かぶ。傭兵の名門、雑賀無き今、孫市殿は帰る場所がない。 「…では、我が薄荷の里を故郷とお思いになってください」 「……いいのか?」 「勿論。私も兄様をお慕い申しております」 「ありがとよ…」 明るかった、孫市兄様の姿はもうそこに無く、抜け殻のような身体で、命を繋いでいるようだった。 私を抱き締める腕も、縋るような力で、頭を撫でる手からは、いつもより愛しいという気持ちが伝わった。 そうだ、私は兄様の故郷を守るためにも、薄荷の里を死守しなくてはならぬ。 生き延びよ、皆の者。 ――行くぞ。 兄様の分まで、私は戦おう。 まるで背水の陣。戻ることは出来ない。我らはただ、前に進むしか知らない。 義、貫かんが為、私は進もう。 名のある武人が布陣しているという場所へ、私は隊を率いて向かった。 我が隊は、豪傑と戦う為の前線戦闘部隊である。だから外へ行かねばならない。 本陣からは幾らか遠くなるが、頭領もいることだし、きっと大丈夫であろう。本陣に籠城している兵達を残し、私は戦場へと赴いた。 乾いた風が、小さく音を立てて吹き去っていった。 20081115 第一話 了 |