どのくらい走ったのか分からない。
だが西へ西へと進んだ先に、その軍は、居た。





同胞の願い




秀吉大返しの列の先頭には、かの智将、石田三成殿であった。
私は軍の中から彼の姿を見つけると、通り道の邪魔にならぬ様に馬を止め、そこに幸村殿も残した。

「何故一人で行かれるのです? 微力ながらこの幸村も最後までお供いたします」
「いえ、もしものことがございます。秀吉殿に会う前に私は切り捨てられるかもしれませぬ。ですから幸村殿には全てを見ておいてほしいのです。そしてそれを慶次殿へお伝え下さい」
「………」
「お願い致します。私が今、頼めるのは貴殿しかおらぬのです」
「分かりました。くれぐれも無茶はしないで下さい」
「心しておきます」

ごめんなさい、幸村殿。
これが無茶に見えないはずがない。そんなことをします。でも、止めないで下さい。止めないで下さい。

私は一人、武器も着けず丸腰で通り道へ行く。手に持つのは雑賀と薄荷の旗印。
それを伝令のごとく腰に差し、道の真ん中に胡坐を掻いて座った。
足音が聞こえる。
目の前で、馬の嘶きが聞こえた。


「己は何をしているのだッ!この軍が、羽柴秀吉様の軍と知っての行いであるかッ」

三成殿が罵声を私に浴びせる。
私は頭を下げ、ひるむことなく答えた。

「勿論に御座います。だからこそ、私はここへ座っておりまする」
「何がしたいのだ」
「秀吉様にお目通り願いたい」
「貴様ッ…」

彼の脇差が頭の上にあるのが分かった。彼は本気だった。それでいい。
むしろそのくらい、真面目な男でよかった、と私は心から思った。

「…私は、薄荷衆三代目頭領、でございます。かの織田信長公が逝去した今、世は波乱へと導かれます。
今にも、光秀公と秀吉公の戦は始まるのは自明でしょう。だからこそ、私は今、ここにいるのです」
「意味がわからぬ。何が言いたい」
「率直に申しましょう。信長公を撃った我が兄を殺さないでほしいという嘆願をしに参りました」

ひゅっ、という音とともに、脇差が顔の横を通り過ぎ、地面に刺さった。

「…己は、いったい」
「私は薄荷衆三代目頭領、そして信長を撃った男、雑賀孫市の妹であります。我が兄を助けるためならば、私はどんなことでもしましょう」
「…それが仮にお前を苦しめる事になったとしてもか」
「はい」

顔を上げると、三成殿は後ろを向いていた。
怒っているのが良く分かる。馬鹿正直な男だ。

「もうすぐ秀吉様はこちらに到着なさる。それまで暫し待て」
「はッ」


私は泣きたくなる。
少し道の端に移動して、また先程のように胡坐で座り、頭を下げ続けた。
三成殿もその間ずっと、私を警戒している。
長い長い行列が大方すぎ去ったあとなのだろうか。ついに秀吉殿にお会い出来た。

三成殿が秀吉殿を呼びとめる。

「秀吉様、」
「おお、三成、・・・その者は?」
「・・・ほら、名乗らぬか」

顔をあげて、真っ直ぐその目を見た。


「お久しゅうございまする。薄荷衆のでございまする。覚えておいでですか」
「おお〜!ではないか!大きくなったのう!」

がしがしと私の頭を秀吉殿は撫でる。
その様子に三成殿は驚いた様子だった。

「三成、それ、しまってくれや」
「はッ、ですが」
「構わん。コイツはワシの知り合いじゃ。それにワシを殺すつもりならとっくの昔にやっておるわ。の射撃の腕は孫にも負けんほどじゃけぇ、」



私は泣きそうなのを必死にこらえた。






、ワシに言いたいこと、あるんじゃろ?」
「ほら、言ってみろ」
「言わんと許さんぞ? ほれ、さっさと言わんか」

頭を撫でる手は、まだ放されてはいなくて。
その手に兄様を重ねて、また泣きそうで。
私は必死に、彼に心を伝えた。


「どうか…どうか、兄を……雑賀孫市を殺さないでください……そのためにはこの命、喜んで差し出しましょう……」

力強い、その真っ黒な目を見ながら私は言った。
さすれば秀吉殿は思い切り私をぶった。


「秀吉様?!」
!お前はいつからそんな女になったのじゃ!
 確かに孫は信長様を撃ったかもしれん。じゃがそれは仕方ないことじゃ。俺はあいつの還る場所を奪った!
 そして信長様の軍はお前の里も奪った!
 の還る場所を奪ったのはワシも同然なんじゃ!なのに、どうしてお前は敵に頭を下げられる?」

秀吉殿は、私の肩を強く掴んだまま、壊れるように叫んだ。


「その答えは、あなたが一番知っておられるではないですか」

私は、笑って、答えた。


「あなたの傍には、大切な仲間も、三成殿のような素晴らしい家臣も、支えてくれる妻も、つき従ってくれる民もいる。そして、一緒に笑いあえる友がいる。それが答えです」










長い長い沈黙の後、暫くして、秀吉殿が口を開いた。
「…流石、ちゃーんとその辺は受け継いどるの。あの方に説教されとる気分じゃ。大丈夫、心配せんでも孫市を殺したりはせんよ。八咫烏と火矢車に誓う」

約束じゃ、と言って、秀吉殿は戻った。



「…俺も戻る。それは餞別だ。持って行け。じゃあな」
三成殿が投げ渡したのは、味噌と握り飯だった。しかも二人分。彼は幸村殿に気づいていたようだ。

その心づかいに感謝しながら、私は最後まで彼らの帰還を見送った。






20091111 了