「いくさのことだけ考えているのです。そうすればいくさしか考えられなくなるから」

他の辛いことを考えずにすむ。
寂しい顔をしてはぽつりと言った。左近はそうか、とだけ言って、女の頭を軽く撫でる。もう寝ろと布団へ促した。はい、と娘は答えたが、それでもなお、月も見えない厚い雲が覆った空を見ている。左近は隣に座り、同じように空を見上げた。

娘は戦さ場で拾ったみなしごだ。みなしごといえどもう嫁に出しても良い様な歳だった。ろくに剣術も習ったことがないのに、果敢にも野武士の刀を拾って戦さ場を駆けていた。陣形を見極める天賦の才があり、娘はその隙を狙って兵を後ろから斬り付けていた。もののふの戦としてはあまり褒めたものではなかったが、生きるための戦としては満点だった。強い心に惹かれて左近は娘を引き取った。

しかしながら拾ったは良いが、特に何をするでもなく持て余していた。男ならともかく、娘を育てるなど、左近にはやり方がわからない。ともかく、自分の側に置いていたら、みるみる軍略を覚えてしまった。そうして娘はずっと戦のことを考えている。

何もかも失ったから、今度は何があろうと失わぬために、知恵を振り絞る。勝つために。戦にも出て、我武者羅に戦っていた。左近も娘を茶や花の道といった、女らしい手習に行かせたことはなかった。いつも剣術の稽古をつけ、権謀術数を教え、馬の乗り方を指南した。さながら弟子の扱いであったが、は文句の一つも言わず、とにかく必死にこなしていた。

参陣する戦では薄汚い手も使った。非力な者が戦うには、正攻法では生きながらえないからだ。三成様には合わせる顔がありません。はいつもそう言って、一度も三成と相対したことはなかった。左近と同じく豊臣、ひいては石田家の闇を担っているという覚悟は、早いうちから担っていた。

左近のもとで数年暮らしていたある夜更け、三成が左近の屋形を訪れた。近習が不在だったので、応対したのはであった。扉を開けて、名を聞いたとき、身が凍る思いをしたが、は微塵も表に出さない。

「近習か?」
「居候でございます、どうぞこちらに」

は静かに答えて、三成を案内する。客間に通し、部屋を去ろうとした。

「待て」
「…何か」
「戦さ場で会ったことはないか」
「わたしはおなごです。人違いかと」
「それもそうだな。奇妙な事を聞いて悪かった」

は冷や汗が止まらなかった。主の主君に見つかってしまった。死ぬるまで会うつもりは毛頭無かったというのに、ひょんなことで顔を見てしまった。戦さ場に似つかわしくない白い肌と、武将に噂されるくらい美しい顔を持っていた。気迫から清廉な様子が見て取れた。武人とは対極の男としか思えなかった。
何度も手を汚してきた己には、到底不釣り合いな主であり、だが三成が主であることが誇らしくもあった。

急ぎ左近を呼びに行くと、男は大きく溜息をついていた。

「はーぁ、殿に見つかってしまったか」
「適当に誤魔化しておきました」
「ま、しょうがない。今まで相対することがなかったほうが不思議なくらいだ」

もう戻っていい、そうに告げ、左近は三成のいる部屋へと向かう。娘は自室に戻ったはいいものの、眠れるような心持ちではなく、部屋の隅で布団を被って震えていた。

「…眠れんか」

どれくらい時が経ったかわからない。左近が娘の様子を見に行くと、娘が布団で団子を作っているのが見えた。男は団子の横に座り込むと、三成との会話を話し聞かせた。

「…殿がと話したいそうだ」
「お断りしたく、存じます」
「お前がそう言うだろうって伝えたが、それでも話したいとのことだ」

また明日出向くって言ってたからなあ、あれは本気で言っているぞ。とにかくもう寝ないと、明日殿にひどい顔をみせることになっちまう。
左近はを布団ごとがばりと抱えると、おろして!と暴れる娘を掴んだまま運び、敷布団の上に丁寧に寝かせた。

「殿は三成様に何とお話したのですか」
「俺は何にも言っちゃあいない。あれは俺の家の居候だと説明した。…信じられんって顔だな」
「ならば何故会いたいなどと仰るのです」

お前さんの顔にやはり見覚えがあるようでな。戦さ場で俺の周りを駆ける近習によく似ている気がしてならんのだとよ。左近が苦笑する。三成には正体がバレているようだった。

「…三成様は怒っているのでしょうか」
「いや? 怒ってはいないな、単なる興味だと思うが」
「なら良いのですが」

おやすみ、と言って左近は部屋を出て行く。ひとり横になるは、ただ悶々として浅い眠りについた。歯を食いしばりすぎて頭が痛い。
すこぶる目覚めが悪い朝、顔を洗って着替えると、左近がを呼びに来た。

「まあ、そんな顔だろうと思った」

顔色はいつも以上に白い。娘の背中に喝を入れるが如く、ばしい、と音がするくらい叩き、男は娘を客間に押し込んだ。扉を開ければ、その音にいささか驚いた三成が、目を丸くして座っていた。

「何の音だ、左近」
「いやあね、があんまりにも暗い顔をしてるんで、左近が喝を入れたんですよ」
「力を入れすぎだ…」

左近に指示され、三成の正面に座らされた娘は、とにかく罰が悪いという顔をしている。

「お前のそんな顔が見たいわけではない」

流石の三成も、居た堪れなくなって女子に声をかけた。は頭を下げる。こうすれば顔を見られることもないし、自身も三成の顔を見なくて済む。

「…何用でしょうか、三成様」
「顔を上げてはくれないのか」
「身分が違いすぎますゆえ」
「はあ。まあ構わん、聞け」

三成の大きな感嘆が聞こえる。それでも娘は顔を上げようとはしない。男は続ける。

「お前は左近の愛弟子だ。おなごなのによく働いている。それは俺も知る限りだ」
「ご存知だったのですね」
「昨晩までお前がおなごだとは知らなかったがな。俺は良い家臣を持った」
「ありがたき幸せ」
「それだ」
「…はい?」
「お前は本当にありがたいとか、幸せだとか、そのように思っているのか?」

意図が掴めない。娘はおずおずと三成の様子を見るため顔を上げる。

「いや、いい。お前が良いなら構わぬ。ただ少し危ういなと思ったのだ」

俺や左近が死んだ時、お前は前を向けなくなる。それが心配になってしまったのだ。
三成はどこか寂しげに言う。

「普段は何をしているのだ。正直に申してみよ」
「刀の稽古、軍略の知見を広めること、毒のある草の見分け、それから鉄砲の機構を学んだり…」
「よい。もうよい。よくわかった」
「はあ」
「お前がいくさのことしか考えておらんのはよくわかった」

それがわたしの務めですので。
がそう言うと、三成はまた先のように目を丸くする。男は驚いていた。若い娘が戦の事しか考えていないことが怖くなった。勝たねば死に直結する。秀吉の天下統一で、多くの戦は減っていったが、それでもまだ足りない。勝って勝って、勝ち続けなければ、即ち生きられないというのが、民草のまことの心なのだった。

「…急に尋ねて悪かったな、俺は戻る」
「門まで送りましょう」

三成と左近は部屋を出て行く。娘はその場に硬直したままだ。三成は優しい。危ういのは三成だと娘は思った。大切にしている家臣が死んだ時、三成は果たして前を向いていけるのだろうか。況してや秀吉様が亡くなったとき、男は正気でいられるであろうか。
戻った左近はに尋ねる。

「…どう思った」
「これからもは石田の影となります」
「はあ、そういうと思った」

失いたくない、その思いが逆に娘を頑なにしてしまう。名軍師と言わずとも、それなりの者には予想できたことだった。それでも男は後悔していなかった。自分が手塩にかけた弟子を失いたくない。その思いは左近も同じなのであった。

もっと穏やかな世なら、本当に娘としてやることも、妻にしてやることもできただろう。
だが今は弟子という形でしか側に置いてやることができない。

「さあ、今日も稽古だ」

屋形の外へ娘を連れ出す。今日は雲ひとつない晴天だ。

20200725