平日のJUNESはマダム達の憩いの場となっている。暑い昼下がり、わたしは制服のままJUNESの手芸用品店をぶらぶらしていた。もうすぐ夏休み、折角だからアクセサリーを作ろうと材料を探している。広い店内に、お客さんはわたしと奥様が二人。あとは死角で見えない。奥様は子供の運動靴入れの布地選びで忙しそうだ。夏休みが本格化する前、まだJUNESは静けさを保っている。
「わっ」
「あっすみません」
誰かとぶつかったのでとっさに謝ると、そこには巽屋の息子・巽完二くんが居た。学校一の不良少年として、知らぬ者はこの学校にはいない。勿論わたしも知っている。彼はわたしの姿をちらりと見ると、そそくさと隣の列に身を隠した。彼は手芸用品店のカゴを持っていて、中には色とりどりの毛糸が入っていた。真夏に毛糸。彼にまつわる噂は本当らしい。本当に手芸がすきなのだろう。
気にせずパーツ選びをしていると、隣のレーンに居た巽くんがこちらへ戻ってきた。店の外をしきりに気にしている。不思議に思って外を見れば、うちの一年生達が何人か歩いているようだった。女の子が数名、夏祭りに着ていく浴衣の飾りを探しているようだった。そういえば店頭には帯留めのサンプルが置いてあったような。
巽くんは店の奥へと逃げ込むが、その大きな身体は隠せそうになかった。そのことに自分でも気がついたようで、わたしのいるトルコパーツのコーナーに駆け寄り、商品を見ているふりをしてしゃがんだ。彼はわたしに向かって人差し指を立て、(しーっ!)と言うのだ。何だかそれがおかしくなって、わたしは彼の横に一緒になってしゃがんだ。
「な、あのセンパイ、」
「ねえ、このコインに合うのはピンクかな、それともグリーンかな」
目の前にあった、コイン型のチャームに手をかけて彼に尋ねる。戸惑いながらも、彼は「…それよりも紺色みたいな色の方が似合うと思うっす」と答えてくれた。おお紺色、とわたしはつぶやき、二つとなりのレーンから紺色のビーズを取ってくる。
「こんな色?」
「ああ、そうっす」
濃い青色をした、ラピスラズリの貴石。あまり使ったことのない色味で、それを提案してもらえたのは嬉しかった。そうだね、紺色いいね。わたしがそう呟いていていると、彼はさらに身を縮めた。確実に女の子達が近づいているのがわかる。
「巽くん誕生日何月?」
「何すかいきなり」
「まあまあ。で?」
「…1月っす」
ということはガーネットが誕生石である。赤色。信頼と愛の石。わたしはまた2レーン隣にガーネットのビーズを取りに行き、彼の横へと戻った。笑いながらその赤色の石を見せる。先ほどよりもさらに小さくなった彼は、眉間に皺を寄せ、怪訝そうな顔をわたしに向けた。
「なんですかこれ」
「1月の誕生石。ガーネットだよ」
「…そうすか」
「そうです」
彼は「そんなことよりこの場を取り繕ってください」というオーラを出していて、それが逆に自分自身を目立たせていた。そんなことには勿論気がついていないのだろう。わたしはそれを誤摩化させるため、自分の腕時計を外して彼の右腕にかぶせる。
「な、何してんすか」
「サイズ測ってんの。わーさすがに大きいね」
わたしは留め穴ギリギリだというのに、彼は逆の意味でギリギリだった。彼から時計を回収してわたしの手首に戻すと、巽くんはわたしの腕をそっと掴む。そして小さく、細すぎと呟いた。そして撫でながらまじまじと見ているものだから、だんだんわたしも恥ずかしくなってきた。
「あー、あの、巽くん」
「…あ、え、あの、そのすんませんでした!」
気がつけば女子の姿もなく、我々はバカップルごっこを続けていた訳で。なかなか恥ずかしいことをしてしまった。それでもまあ多少誤摩化せたと思うし、わたしは何も減っていないので別に構わない。コインのチャームと、ラピスラズリとガーネットの丸玉を買って、わたしは帰宅した。
そしたら次の日、登校するなりJUNES王子がわたしに駆け寄ってきたのだ。「は完二と付き合ってるのか!?」と言って。
わたしは悩んだ。これで「付き合っていない」って言っても「付き合ってる」って言っても面倒なことには違いない。昨日のバカップルごっこが誰かしらに見られていたことが恥ずかしくなったし、花村の様子からするともう噂は結構広まっているのだろう。
「、顔赤い」
「あーやっぱりそうなんだねー!も隅に置けないなあ」
雪子と千枝がそんなことを言ってくるが、どうもこうも言えない。そうこうしているうちにチャイムが鳴り、授業が始まった。休み時間の花村の問いつめを何とかかわし、昼休みがやってきた。今日はお弁当あるけど食堂で食べよう、そう思っていたら血相を変えた巽くんが見えた。目が合った瞬間、彼は2年の教室に入ってきてわたしの手首を掴み、そのまま裏庭に連れ出した。わたしの背中には壁、目の前には長身の巽くん。
そして人気のないことを確認して、彼が言った。
「すみませんでした!昨日のことで、ヘンな噂になってて…」
わたしはあっけにとられた。何で彼が謝るのだろう。むしろ謝るのはこっちだ。変なことで絡んだのはわたしの方だ。
「巽くんが謝らなくていいんだよ、むしろわたしが昨日あんな風に絡んだせいで」
「俺がセンパイの横にしゃがまなければあんなことにはならなかったっす」
「いやそんなことは」
「いえ!」
そんな言い争いのなか、彼は掴んだままのわたしの左手首を壁に押し付けた。いわゆる壁ドンではないか、これ。わたしは妙に近いこの距離に緊張を覚え、またその長身故に感じる圧迫感に押され気味だった。
「ちゃんと聞いてください、俺は」
「完二?!」
鳴上と花村が見ていた。花村は「ほんとうだ…」とつぶやき、ダッシュで校舎の方へと向かった。鳴上が「そっとしておこう」と言いながら花村を追いかけた。
「…あー巽くん、その提案なんだけど」
わたしはそのままの体勢で彼に話しかける。なんすか、という彼の額には汗がにじんでいる。
「その、どうだろう、『付き合ってる』ってことにするのは。勿論君がイヤじゃなければだけど」
「お、俺で、いいんすか、そのセンパイは…メーワクとかじゃ」
「大丈夫だから。むしろ花村たちに見られた今の状況ではこれがベストだと思う」
「そうっすね…センパイ達おしゃべり好きっすからね…」
なんだかおかしくなって、ふと笑うと、彼もつられて笑い出す。巽くんの笑顔は明るくて、むすっとしているよりずっと良い。そっとやさしく、でも決して振りほどけない強さで握られている左手が、熱い。
それからの毎日は意外とすんなりと過ごした。巽くんとは買い物をしたり、一緒に手芸をしたり、愛家でご飯を食べたりと、至って健全な生活をした。学校でも冷やかしてくるのは花村だけだったし、わたしは別段何もなく、むしろ巽くんのホモ疑惑が晴れ、不良行為も行っていないことから、本人からも周りからもどちらかというと感謝される始末であった。
驚くことは巽くんと一緒にいると楽しいということであった。二人だけでいるのにも慣れてきたからか、別段ぎくしゃくすることもなくなったし、花村達と一緒にいるときでさえ、わたしを見かけたら駆け寄ってきてくれるのだ。それもあの笑顔をしながら。わたしはそろそろ勘違いをしそうだ。彼はわたしのことが好きなのではないかと。
夏休みが到来し、彼と会うには口実が必要になった。わたしたちは付き合っている「フリ」をしているだけなので、連絡を取ったりする必要はない。そのはずなのに、巽くんはわたしに電話をかけてくる。
「もしもし」
「もしもし、巽です、センパイ起きてます?」
「うん起きてるよ」
「きょうヒマですか?」
「うんヒマだよ」
「じゃあ10時に迎えに行くんで支度しといてください!」
一体どこへ、というわたしの言葉は彼には届かず、電話は一方的に切れた。戸惑いながらもわたしは服を着替え、そこそこお出かけの装いを選んだ。そうして忘れずにブレスレットをつける。紺色をしたそれは、以前彼が教えてくれた素敵な色をしていた。
「センパイ、おはようございます」
きょうの服、かわいいっすね。
彼は素直にそう言った。巽くんの「かわいい」はぬいぐるみに対するそれと同じものであり、とても純粋な感情だと知っている。だからすらすらと言えるのだし、わたしはすこし嬉しくなった。
どこ行くの?と尋ねれば、彼は自転車の荷台を叩いた。ここに座れということらしい。巽くんの後ろに座ると、前は全く見えなかった。
しばらく走ると隣町に来た。彼は笑顔でこっちです、とわたしを連れて行く。そこにはおしゃれなカフェがあった。巽くんは堂々その店に入る。
席へ座り、適当にメニューを選ぶ。すると巽くんはわたしの腕を見て、こないだのですね、と気がついた。
「俺の選んだ色、やっぱり似合っててよかったっす」
彼はまた素直な感情を口に出す。わたしはどんどんもやもやした気持ちが増しているのがわかった。その言葉が嬉しいのに、喜びたいのに、わたしたちの関係性が曖昧だから、「演技かもしれない」という不安が拭えない。
答える前に、店員が飲み物を持ってくる。冷たいアイスティーだ。
「俺ね、この店にあみぐるみ置いてもらってるんっす」
ほら、と目配せされた先には、小さなくまやうさぎが並んでいた。
「こんなこと言えるのセンパイくらいしかいなくて」
その言葉でなんだかわたしは泣きたくなる。バカみたい。
「ねえ、センパイ?聞いてます?」
「え、うん、聞いてる。あのうさぎがかわいい」
「だと思って!俺センパイのために作ってきたっす」
巽くんはふわふわの毛糸で編んだうさぎを取り出し、わたしに渡す。ありがとうくらい、彼の目を見なくてはと思い、彼のほうを向く。そういえばきょうは一度も目を合わせていない。
「ありがと、う」
「…ね、センパイ、何で俺を避けるんすか?」
やっぱり俺のこと、キライっすか?
そう言われて、わたしはちがうと答えたかった。でも言葉にならなくて、不安が涙になった。
「な、何で泣くんすか?!」
「ちがうの、ちがうから、」
うさぎを掴む左手を、彼が上から包み込む。巽くんはまっすぐな目をして言った。
「俺、センパイと一緒にいて楽しい。これは里中センパイとか天城センパイとかといる時とはちがう。これがちゃんとした恋だってようやく気付いたんす。だからフリじゃなくて、ほんとにセンパイと付き合いたいっす」
俺、さんが好きです。
そう言われて、わたしは自分を責めた。自分がバカすぎてどうしようもない。だからまた泣き出してしまって、巽くんを困らせた。
「わたしも、すきに、なっちゃったよ…」
だったら泣かないでください。俺センパイを泣かせたくないっす。そう言って彼はわたしの左手をすこし強く握る。わたしはうれし泣きだと言って、今日初めてようやく彼と目を合わす。きらきらしたまっすぐな瞳に照れて、目をそらせば、その腕にはわたしがあげたガーネットのブレスレットが見えた。信頼と愛の石。それが指し示すような彼の言動に、わたしは翻弄されてばかりいる。
Starting over
20140811 ゴールデンの完二がかわいかったので