「そろそろ休んだほうがいいと思うけど」
「いや~まあそうなんだけどね~」

そう言って彼は私をはぐらかして、パソコン画面へと意識が戻っていく。朝からずっとこの調子で、ろくにご飯も食べていない。何やら次の仕事のための情報収集、と言っていた。お得意のハッキングをしている訳ではない。(そもそもこの状況でハッキングなんてしたら逆探知されて会社が潰れてしまう。)彼は熱心に画面を見つめ、ノートにメモを取っていく。私はその邪魔をしないように、熱い日本茶を入れた湯呑みを置いていく。

「ありがとう、

後ろからそっと声が掛かる。それに対し、私は軽く左手を挙げて返した。後ろは振り返らない。というか、振り返られない。きっと赤面してるだろうから。
(一体、何なのよーッ)
私は給湯室で、湯が沸くのを待ちながら、先ほどの出来事を振り返る。はっきり言って私は関のことが好きだし、だからこうやってお茶を入れたり、現場によく行く彼の仕事をこっそり手伝ったりしているのだが、この思いは報われそうにない。何せ、相手は“マイクマン関”である。女好きで有名だ。この間も生中継で熱烈な告白をしていて、私はその映像を、会社で呆然としながら見たという訳だ。はあ、ため息が出るのも仕方ない。私はドリッパーに湯を注ぐ。

「お前も大変だなあ」
「ぎゃあさんッ」

この人は関や早乙女と一緒に、いつも現場に出ている音声さんだ。よく関に、乱暴にマイクを扱われて嘆いている(「いいか、報道におけるマイクってのは最低でも25万はすんだ、でな、…」※以下略)。さんはマグカップを手渡してきて、コーヒー、と呟いた。受け取ったカップにサーバーに溜まった液体を注ぐ。あーまたお湯沸かさなきゃなあ。別にいいけど。

「どうぞ」
「すまねえな、自分の為に入れたんだろ?」
「いいですよ、またお湯沸かしますし。その分サボれます」
「おうおうサボっとけ。残業代、しっかりもらうためにもなあ」

ガハハ、とさんは豪快に笑う。面白い人なのだが、意外なところは衝撃的な甘党で、今日も角砂糖4つを入れた。どう考えても溶けないだろうなあ、あれ。

「昨日も遅くまで残業してたらしいじゃねえか」
「それは…」
「まあ、せいぜい頑張れや、俺は嫁さんのために早く帰りたいんでな、じゃ」

彼は取材が終わると、定時を過ぎていたら必ず家に帰る。別にそれを咎めている訳ではなくて、その分朝早くに出勤しているのを知っている。私が残業しているのは、彼ら取材クルーがスムーズに任務が出来るように、官僚的処理を手伝うことだけだ。会社員として当然のこと、だ。うん。そうそう。とーぜんのこと。
私はもう一度沸かしたお湯を注ぎ、ブラックコーヒーを作った後、自分の席へと戻った。

「おい、出るぞ!」
「はいッ!」

そしたらフロアは何やら騒ぎ立っていて、取材班は荷物を大慌てで担いで飛び出して行った。たまたま関がこちらを向いて、目が合った。マグカップをぎゅっと握る私。

「いってきますッ!」
「い、いってらっしゃい」

何故か出立の挨拶をされた。軽く手を振って見送ると、彼はにっこりと歯を見せて笑う。何よ、その顔。そんな顔見せないでよ。くそー、大体あんな顔されたら、私の心臓が持たないっての!
どきどきしたまま私は座席に座ると、出来たてのコーヒーを啜った。熱ッ。でも目が覚める。はァー、また提出資料増えるなあ。

「ーーッと、ここでライバードの登場だァーッ!今夜も活躍が期待されるッ!!」

関の圧倒的なトーク(実況解説)を聞きながら、私はパソコン画面に向かう。時々テレビ画面見るけど。あーあ、また女の子口説いて。公共の電波を何だと思ってんだっつーの。…あ、噛んだ。珍しいな、関が噛むなんて。あ、まただ。
しかし鑑賞しているだけでは仕事は終わらない。画面の向こうではバトルが終了し、放送も同時に終わった。彼らが帰ってくる前に、なるべく提出書類を揃えておいてあげる。それが私の仕事だ。

がやがやとした声が聞こえる。クルーたちが帰ってきたようだ。お疲れ、と声をかける。夜も遅くなってきていて、ほとんどの人が荷物だけ取りにきたという感じ。

「お疲れー、お先ー」
も根詰めすぎんなよー」
「ありがとうございまーす!お疲れですー」

そんな中、遅れてフロアに来たのは関だった。お疲れ、と声をかけても生気がない。ただいま、と小さく答えて、彼はよろよろと接待用のソファに座ると、ため息をついた。…茶でも淹れてやるか。

私は給湯室へ赴く。そして、いつものように関の好きな熱々の緑茶を、彼の前の机に置いた。理由は知らないが、彼はやたら熱い緑茶を好む。コーヒーはあまり飲まない。関は湯呑みを両手で掴んだ。

「…ありがとう、
「どうしたの、関らしくないよ」
「あ~うん、そうだよね~」

またフられたの?と聞くと、そんなんじゃない、と彼はちょっと怒って言った。口ごもるから気になって、とりあえず私は隣に座る。

「…今日二回も噛んじゃった」
「もしかしてそれ悩んでるの?」
「アナウンサーとして自分が許せない…」

しゅん、と小さくなる関。そんな姿、テレビの前で見せる訳がなく、ましてやフロアの皆にも見せないだろう。そんな弱ってる姿が、なんだか可愛くて、私は関の頭を撫でた。

「よしよし」
「な、何すんの
「私の前まで強がんなくていいから」
「…う~、お言葉に、甘えます」

湯呑を置き、そのまま私に雪崩かかってきて、肩に顔をうずめてきた。関も仕事で悩んだりするんだなあ。よしよし。


「ん?なに?」
「…いつもありがとう」
「…今日勤労感謝の日だっけ」

突然の感謝の意に驚いた。今日は普通の平日だと思うけど。私の肩から、関はアナウンサーらしくない声で、つまりはびっくりするくらい艶めいた声で、話す。その声が自分の身体に響いてくる。

「…の気遣い、すげーありがたいの。資料とかほんと助かるし。俺が昼間調べてたのは、が出してきたデータがどの位探せば見つかるのか見てたの」
「それはそんな難しくな…ちょ、っと」

関は私の背に手を回す。身体の密着度が上がって、恥ずかしさ倍増だ。どういう状況なのこれ!

「いっつも美味しいお茶淹れてくれるし、デスクワーク苦手な俺が上手くいくようにいっつも準備してくれてる。それに」

私の肩にあった関の顔が、今度は目の前に見える。近いよ、と言えばまたあの笑顔を見せる。

は俺をしっかり見てくれる。テレビの俺じゃなく、関として。だから俺は、がいるから安心して“マイクマン関”でいられる」
「それは、どういうこと」
「そんな構えないでよ。…つまり俺は君が好きだってこと」

真っ直ぐな瞳が私の瞳に映る。その笑顔と、誰も知らない低い声で、愛なんて囁かれたら、落ちるに決まってるじゃない。

「ねーえ??」
「な、」

口を開いた瞬間を狙って、関は私の唇を奪う。彼の舌が私の口の中にあるというおかしな状態で、とにかく彼の舌を噛まないようにと必死になった。彼の口は「商売道具」だから。

「そんな顔しないでよ、俺以外には」
「誰のせいでッ…!」

もう一度、関の舌が私の舌を絡め取る。そしたら今度は、私の舌を甘噛みしてきた。驚いて関の目を見れば、彼の目を細めた姿に心臓がバクバク言ってしまった。くちびるを離して関が言う。

の舌ならいくら噛んでも気持ちいいのになあ」

顔が真っ赤なのが分かる。恥ずかしくて死にそうだ。おかしいな、なんで私が手玉にとられてるんだろう。

「関、その」
「なあに」
「私も、関が、すき」
「うん、知ってる」

サラッと笑い、もう一度、くちびるが触れるだけのキスを落としてきた。でもその顔が熱を帯びていて、真っ赤だったから許そう。

20120219 ちょっとすきをこじらせたどマイナーゆめ