洋平くんはわたしのバイト先によく来る高校生だ。髪をオールバックにした、強そうなヤンキー姿の彼は、いつも孤独を携えてやって来る。時々友達を連れて来たときも、やっぱりどこか寂しそうなのだ。わたしはその孤独に気がついているけれど、何も言わない。ただ彼の注文を聞くだけだ。
いらっしゃいませ。
ここは定食屋だ。わたしは魚を捌く練習がしたくて、ここでバイトしている。しかしながら上達しないので専らなめろうばかり作っているけど。おかげさまでなめろうの腕前だけは、店長に褒められるようになった。
洋平くんは鯖の味噌煮をよく食べている。
生姜焼きやチキン南蛮より、ここでは魚をよく食べているから珍しいと思ったのだ。学ランを着ているのでご飯を大盛りにしたら、喜んでくれたのがきっかけで、今ではよく話す常連さんになっている。彼は週に1度くらいふらりと現れ、2時間くらいだらだらとくつろいで帰るのだ。
店も今日は終わりにさしかかり、飲んだくれのおじさん達数人だけになった。平日のゆっくりした夜、わたしはまかないを洋平くんと一緒に食べる。まかないは相変わらずなめろう。
「さん、また失敗したの?」
「魚以外は上手く出来るんだけどね~~捌くの以外は出来るんだけどね~~」
「よーく知ってる」
「味は問題ないっしょ?」
「うん。ばっちり」
今日の洋平くんの味噌煮はわたしが作ったものだ。調理は出来るのだけれど、魚を捌くのは全然上手くならないので、半ば諦めている。もう1年くらいになるのに。
「まあ捌けなくてもスーパーで切り身売ってるし」
「くやしい…洋平くん得意そうだよね料理…」
「魚捌けるよ、俺」
「ほんと悔しい…」
洋平くんはわたしのなめろうを半分ほど奪って、さらにご飯とみそ汁をおかわりし、定食を平らげた。わたしもまかないを食べ終えて、そのまま締めの片付けを行う。彼はほうじ茶をずずっと啜りながら、野球中継を見ていた。
しばらくして、片付けが終わっても、おじさん達はまだ飲んでいる。野球が盛り上がっているらしい。店長からの帰宅許可が出たので帰ろうとすると、テレビを見ていた洋平くんも出て来た。
「送ってく」
時々彼はわたしを送ってくれる。
そんな時も、洋平くんは寂しそうな顔を絶やさない。帰り道、街灯だけの暗がりのなかで、そう思えるのだからよっぽどなのだと思う。わたしはその疑問を彼にぶつけてみた。
「洋平くんは何が寂しいの?」
彼は少し考えてから、そうだな、と言って話し出す。
「俺のダチ、がな、一人でどんどん先へ行っちまうんだよ。この前まで俺が付いてなきゃ何にもできなかったのに。それが正直寂しい」
わたしはそのダチとやらが羨ましい。洋平くんにここまで思ってもらえるというのは、相当なものなのだろう。彼は一線を引いて人付き合いをするタイプの人間だ。誰にでも人当たりが良い。でもそれ以上踏み込んで来ることはしない。そうして、わたしみたいなものが近づくことは叶わない。それは何となくわかっていた。
「子離れってやつ?」
「何それ。親だったの?」
「まあ、保護者って感じだな」
洋平くんはやさしい。やさしいから、ずっと笑っている。何も拒まない。何も望まない。
それがたとえ自分が辛い選択なのだとしても、相手がよければそれでいいと思っている。彼は自分を出さない。彼の好きなものが何か、全く知らない。彼の好きな野球チームさえ知らない。わたしは彼とこれまで何を話してきたのだろう。
「洋平くんは、もっと素直になればいいのに」
「素直、ねえ?」
わたしに向かって、彼は大人びた顔を向けてくる。
高校生らしからぬ、その振る舞いに、わたしはすこし緊張するのだ。知らない洋平くんを見ると、嬉しいのに、どこか怖い。
「でも最近、ちょっと寂しさがまぎれてきた」
「へえ?」
「魚を捌くのが下手な女子大生が心配で」
アンタ、ほんと鈍感だよな!
洋平くんは笑ってわたしに一発デコピンを食らわせると、その額に軽く唇を落とす。突然のことに反応が鈍くなっているわたしに、彼は今まで見せたことのない笑顔を浮かべた。
「だ、大学生バカにしてんでしょ!」
「ああ、バカにしてるよ! 俺はまだバカな高校生だからな!」
夜道の路上で、彼は堂々とわたしを手玉に取る。
「アンタは俺がいないといけねェ気がするから、これからも付いててやるよ、さん」
わたしの切り傷いっぱいの左手を取って、そんな甘い台詞を吐く。彼のその寂しさが紛れるなら、利用されるのも全然悪くない。ゆっくり知っていいのだ。ゆっくり。
スローダンス
20150508