翌日は雨だった。
 朝教室へ行くと、最近バスケ部に復帰した三井がニタニタしてこちらにやってきた。三井は突然髪を切って、『俺は不良じゃねぇ』と言わんばかりのオーラを出してるけど、それは意味がないってことに彼は気づいていない。まぁちょっと面白いんだけど。それに私は三井と3年間同じクラスだ。彼がなりきりヤンキーだということは(口には出さないけど)分かってる。だけど、こんなしたり顔で近付かれるような関係ではない。普通の友達、むしろクラスメイトという仲。何を企んでるのかは私には予想出来なかった。

「おはよ、
「おはよう、三井」
「昨日鉄男に会っただろ」

 ただ挨拶を交わすだけではやはりなかった。何故か三井は鉄男のことだけならまだしも、昨日の事まで知っているような口振りだった。どう返せばいいのか分からなくて言葉に詰まる私。それを見て、さらにニヤリと三井は笑う。

「…ふーん。やっぱりで合ってたか」
「合ってた、って?」
「昨日鉄男から家に電話掛かってきてよ、湘北の女で、とか色々そいつの特徴言われたんだよ」
「?」
「名前、教えてないだろ」
「あ、そうだった」
「だから鉄男は俺に電話してきて、お前のこと、知ろうとした訳」

 私たちは何も自己紹介なんてしてない。私が鉄男の名前を知ったのも、回りにいた男たちが言ってたから、ってだけで、接点なんてカケラもなかった。唯一の接点がこの三井寿、ってとこだろう。だけど三井と鉄男が知り合いだったなんて、今初めて知った事実。

「…それにしても、よく私って分かったね」
「ああ、大体の家の場所が分かったからな」

 だから俺は表札見て帰れよ、って怒ったんだけどな。バカなヤツ、と三井が笑ったので、私もすこし鉄男を意外に思って笑った。

 丁度そこでチャイムが鳴り、私たちは各々の席に座った。授業はひたすら退屈だった。先生の言葉が右から左、左から右へ、するりと消え去っていく。
 部活の時間を今か今かと待ち望んでいるのは、バスケ部だけではない。私も、引退までのスパートをかけている。だから本当はこんな怠惰な授業なんて抜け出して、思いっきり部活に打ち込みたい。3年生に残された『部員』としての時間は、もう後僅かしかない。

 結局三井とは朝あれだけ喋ったきりだったけど、6限終了後にはお互いに頑張れよ、と声を掛け合った。私たちはそれで十分だった。そしてまた各々の部室へとダッシュする。1分1秒でも無駄にしたくない。

 部活での時間は、あの至極つまらない授業に比べられないほどの早いスピードで駆け抜けて行く。集中すると時間の感覚がなくなる、っていうのは本当だと、身に染みて感じるようになった。一生懸命に過ごす時間は、本当に早い。気付いたらまた昨日みたいな時間になっていて、私は慌てて他の部員を帰した。そして片付けと見回り点検を行なって、私も急いで校舎を後にする。暗がりのなか、体育館は未だ明るい。

 傘を差して、下足室を後にすると、門の向こうに小さな灯が点いたり消えたりするのが見えた。…ほんとに来てくれたんだ、鉄男。急ぎ近付いていくと、やっぱりそれは鉄男だった。大きなビニール傘が鉄男にひどく不釣り合いだった。今日はバイクではないみたい。とにかく私は会えたことが嬉しくて、鉄男の元へ駆け寄る。

「てつ……」

 だけど私が彼の名前を呼ぶことは叶わなかった。鉄男は自分の傘を落として、私をぎゅっと抱き締めてきた。

「…遅い」
「ご、ごめんなさい…」
「…またアブねぇ目に遭ってるかもって心配した」

 そんな言葉が降ってくるなんて思いもしなかった。『遅い』と怒っていたのはそういうことだったのか。真意を悟った瞬間、私は顔が真っ赤になるのを自覚した。そうして、私は意を決して言葉を続ける。

「心配してくれてありがとう、鉄男」

 名前を呼ぶのはとっても緊張したけど、それでも呼びたかったから頑張った。鉄男はそれに応えるように、私を抱き締める力を強くした。
昨日と同じ腕に包まれることが、こんなにも安心して、嬉しくて、どきどきするものなのかと思った。ただ昨日と違うのは、私から恐怖感が消えていること。そして、鉄男の体温がすこし低いこと。きっと雨の中、ここでずっと待っていてくれたんだろう。今の私に出来ることは、このままもうすこし抱きしめられていることだけ。

 どのくらい抱きしめあったか分からない。鉄男の肩くらいまでしか身長のない私は、彼の表情を見ることは出来なかったけれど、私は鉄男の胸に顔をうずめて、為されるがままでいた。

「………

 不意に名前を呼ばれて、私はまたどきどきするのを感じた。うずめていた顔をそっと上げると、鉄男が私の額に軽く口付けてきた。もうしばらく、体育館の電気が消えない間は、あなたのあたたかさを感じていたい。
 雨は冷たく降り続く。

20090914 鉄男がすきです