4わたなべさんとわたし
「くんおめでとう」「ありがとうございます店長!」
おかげさまで四天宝寺の事務員の仕事の内定を貰った。実はもう一つの会社も内定が出たのだが、関東勤務だったのでしこたま悩んで大阪に残ることにしたのだった。だから3月末まではここで働くことができるし、大阪を出ないですむ。
渡邊さんに会ったらなんてお礼を言おう。
ここ数日はずっとそればかり考えていた。いつも冗談ばっかりで、わたしのことからかってばかりだけど。アホみたいに煙草吸って――いやそれはやめた素振りがあった、でも競馬とパチンコばっかりやって、そんでもってえーっと、まあギャンブルしか趣味のないひとだけれど。いつも明るくて、パチンコに買ったときはマカダミアナッツをくれるいい人だ。うん。
からんからん。古めかしいカウベルが、ドアが開いたことを告げる。いらっしゃいませ。店長とわたしが声を揃えて言うと、そこにはイケメンがいた。逆光がまぶしい。整った茶色の髪、頭にはハットを被り、さわやかな白いシャツにボタニカルの柄パンを履いていた。大学生のようだった。
「わ、たなべさん、」
店長がその名を呼ぶまで、渡邊さんと認識できないほどの変貌であった。いや普段見ている姿がひどかったからなのかもしれない。チューリップハットでない渡邊さんを見たのは初めてだ。
「あー、ちゃん?仕事決まったんやて?おめでと」
「あ、りがとございます、あの、えっと」
「あー!あの店長、ちょっと今日ちゃん借りていいですか?」
「ええ、ええ、どーぞどーぞ」
ほな、と言ってイケメンの男――渡邊さんはわたしの手を取って店を出た。ああ、今日はあの雪駄ではなく、靴を履いている。ぴかぴかな黒い靴。本当にこの人は渡邊さんなのだろうか。あの、とか、渡邊さん、とか声をかけても、男は一向に返事も振り向きもせず、ただわたしの手を掴んだまま、歩き続けた。
川沿いの、ちょっと開けた小径。わんこのお散歩コースとしてよく使われているところだ。彼はそこまでわたしを連れてくると、急に立ち止まった。顔は見えない。彼の背中だけが見えている。
「あー、ちゃん、」
「はい」
「なんかその、えーと改まって言うのも何やねんけど」
「はあ」
「…アカン、本気で言うんはほんま緊張するな、俺めっちゃヘタレや」
手を離して、わたしに向かい合うと、伏し目がちにした顔をちらりと見せてくる。…それは反則だ。普段の小汚い格好とは全く違う、そんなかっこいい姿を見せて、照れた顔をするなんて。こっちの方が顔から火が出そうだ。この人は潜在的にはイケメンだったのだと、今日初めて知った。
「俺と、付き合ってください、」
「は、い」
「ほんまに、ええんか?こんな俺で」
金もないし、ギャンブルしかやらん、こんな男でも、付き合ってくれるか?
渡邊さんは、目を合わせずそう言い、最後に視線をわたしに合わせた。
「前にも言いましたけど、わたし貰えるもんは何でも貰うって決めてるんで」
「そやったな。ほな最後まで頼むで」
「ええ、わかりました、渡邊さん」
「それ」
「どれ?」
「その『渡邊さん』っちゅーのはもうなしやで。これからは『オサム』て呼んでや」
オサム、とぼそりと口にすれば、彼はそれまでのどぎまぎした姿から一変、わたしに抱きついてきた。テニスを教えているという、その言葉は本当のようで、身体はがっしりとしていた。
「オサム、さん」
「なんやちゃん」
「煙草やめたんちゃうん?」
「…いやそのそれは」
はあ。大きくため息を付けば、彼は今後努力する!と大口を叩いた。あれほどのヘビースモーカーが一朝一夕で禁煙できるわけがない。彼の服からはいつものわかばの香りがした。
「ほらたばこも出して。貰っときます」
「…厳しいなあちゃんは」
「あとまだオサムさんから貰ってないものがあるんですけど」
「なんや? 金はないで」
「わたしのこと、どう思ってるんですか」
結婚しよう、みたいな言葉は聞いた。でも実際彼がどう思っているのかは教えてもらっていない。そう言うと彼は腕を緩めて、耳元に唇を寄せた。
「最初に見たときから、一目惚れやった。そっからずっと好きや」
で。ちゃんは俺のことどう思ってんの?
彼はいたずらをするような声音で、わたしに問いかける。
「ろくでもなくて、どうしようもない残念なひとですけど、明るくてやさしい、わたしのすきなひとです」
そう言うとオサムさんは、息を飲んだ。その音がわたしの耳元で聞こえる。わたしはこう続けた。
「誰にも貰ってもらえないようなんで、わたしが貰ってあげます」
「おおきに」