、起きてくれますか」

 身体を揺すられて起きると、紅月が立っていて、足元に何かが転がっている。どうしたの、と言えばすこしやりすぎてしまいました、助けてくださいと珍しく焦っていて、寝起きで全然頭が回らない中、わたしはとりあえず布団から出た。
 わたしの家の足元に転がっているのは見知らぬ男性だった。相当やられたらしい、ボコボコになっていた。パッと見た感じ、深手を負っているようには見えないが、外傷は多い。意識はあまりなさそうだった。

「此の者の手当てをお願いできますか?」
「ええ、わかりました、しかし此の者は誰です?」
「里に出た盗賊です」

 中つ国の治安はあまり良いとは言えない。霊山と里、鬼内と外様、モノノフとそれ以外…多様な差別や貧富の差はこれまでずっとあった。盗賊が出ることもしばしばあったが、ここ数年はあまり見ることはなかったように思う。わたしが出会ったのは初めてだ。

「…武器は私が預かります。腕っ節はそこそこですが、あなたに危害を与えることはまずないでしょう」

 紅月がそう言うのなら、とわたしはその男の身柄を預かった。彼女は本部と八雲に話をつけると言って、足早に家を出る。今だに男は土間に転がっていて、ぴくりともしない。全く動かないので、生きているかが心配になり、そっと首元で脈を見れば、規則正しく動いており、わずかにだが呼吸音も聞こえ、わたしはほっとする。死体を預けられたかと思った。
 盗賊の服を脱がせられるところだけ脱がせ、分かる範囲の外傷に薬を塗る。割と沁みると思うのだが、それでも男は目を醒まさない。包帯を巻き、土間から布団へ何とか引きずって上げ、男を布団へ寝かせる。そうして服を洗濯し、適当な草を引いてきて、粥の準備をした。だが男は眠っている。顔にできたたんこぶが痛々しい。そっと頭を撫でてみる。男が目を覚ます素振りは感じられない。寝顔を見ているうちに、段々眠くなってくる。叩き起こされたせいで、結構な眠気が来ていた。

「…いいにおいだな」

 ぼそりと言った男の声で、わたしはまどろみから抜け出した。いかん。寝入ってしまうところだった。

「目が覚めました?」

 そう声をかければ、男はゆっくりと身体を起こした。わたしは男の背に手を添え、介助する。

「身体中が痛えが、だいぶ傷が落ち着いてやがる。おめーがやってくれたのか?」
「ええ、まあ」
「んじゃ、その粥も、俺のために?」
「ええ、そうだけど」

 いっただき!そう叫ぶと、男は布団から飛び出し、まだ鍋に入ったままの粥を、大きな匙で豪快に食べ始める。粥も大分冷めているが、至極美味しそうに食べるのだった。

「…お腹空いてたの?」
「そーだ。なんか食い物ねえかなーって盗みに入ったところで、あの女に見つかって、ってあの暴力女はどこだ?!」
「…誰が暴力女ですか?」
「げ」

 鍋にがっついている男の前に、するりと家に入ってきた紅月。彼女は上っ面の笑顔を貼り付けて男に迫り、対して男は匙を固く握り直す。丸腰で、服もない。武器になりそうなものはこの家にはなかった。
 紅月は翻ってわたしに言う。

「…、此の者をマホロバのモノノフにしようと思います」
「え、ええ、盗賊なのではないですか?」
「はい。でも盗みは今宵限りで終わりです。そうですね?」

 強い剣幕で盗人に迫る紅月に、男は匙を向けて反発する。

「んな訳ねーだろ。メシ食えねーんなら死んじまう」
「では食事付きならどうですか?」
「誰が作ってくれんだよ」
「そこにいるです」
「紅月?」

 何故か流れでわたしが食事係にされている。何でだ。

「この里を出て行くのもいいでしょう。但し、この里で盗みを働こうとした罰は、きっちり受けてもらいます」

 先ほどのは侵入者に対する正当防衛です、裁きではありません、と男を半殺しにしたことを淡々と説明し、逃げるならこうなります、と紅月はうちにあった大根を片手で握って割って見せた。わたしもちょっと驚く。イツクサの英雄ともなれば、このくらいできなければ大型鬼に立ち向かえないのだろうか。
 彼女は男の前に仁王立ちし、さあ選びなさい、と言ったけれども、此の場で否と言えば、命の保証が全くないことは、わたしも、そして盗賊もしかと理解していた。

「わーったよ。やりゃいーんだろ、やりゃ」
「よく言ってくれました。…ところで、あなたの名前は?」

 ここまでやっていて、わたしたちは男の名前を知らなかった。男は小さく、ほむらだ、と言った。

「これから宜しく頼みますね、焔」

 そう言って、紅月は去って行く。家にはわたしと盗人、いや元盗人が取り残された。初対面同士、一体これからどうすればいいのか。わたしはとりあえず紅月が割った大根を拾っていると、焔が話し出す。

「あー、何だかわからねーけど、おめーがメシ作ってくれんだろ?」
「紅月に頼まれたから、仕方ないですね」
「あのヤロ、紅月は料理できんのか?」
「彼女は食材調達係で、調理はからっきし」
「だと思った」

 けらけらと笑う焔。あんな暴力女に料理なんて出来る訳がねえ。そう言って、思い出したように冷えた粥を口に運んだ。

「ああ、お粥冷めてるでしょ。あっため直すよ」
「十分旨いぜ。あっためた方が勿論旨いんだろーけど、腹減ってるからこのままでいい。ありがとな」

 食事を作って、感謝されるなんて、早々なかったことだ。もはや当たり前の家事のひとつで、誰かのために作ることすら長らくしていない。焔はガツガツという言葉が似合うほどに、全力で平らげていく。

「そういえばお前の名前、で良かったか?」
「はい、です」
「そっか。おめーは命の恩人だ。マジで腹減って死にそうだったからな。で、その恩人にお願いがあるんだが」

 ひとつ聞いてやくれねーか?
 何?と聞けば、粥を完食した焔は頭を下げてきた。

「このまま里を出るのは無理そうだからよ、しばらく居ようと思うんだが、流れもんには家がねえ。そこで俺を住まわしちゃくれねーか?」
「…ええ?」
「この通りだ!後生だ!頼む!」

 その辺で寝ててもあいつに殺されそうだ、頼む、そう懇願され、仕方ないなと私は承諾した。

「やったぜ、宿付き、メシ付き!バンバン働くぜ」
「働かないと紅月に殺されるからな」
「…そうだった」

 彼はまるで叱られた子どものようにしゅんとする。それがわたしには何だか新鮮で、声を出して笑ってしまう。
 まだ日が昇るには早く、暗い部屋の中で、わたしたちは他愛のない話を続けるのだった。

20190818