01

今日はもう寝ようかな。お風呂に入ってパジャマに着替えて、就寝準備もすっかり済んだ頃、部屋のインターフォンが鳴った。誰だろう。普段ならここでサイラスが扉を開けて部屋に入ってくるのに、そういえば何の物音もしない。わたしは部屋を出て、寮のエントランスへ向かう。

「はーい」
「夜分に悪い。緊急事態だ」
「タイラー?」

そこには血相を変えたタイラーが立っていた。どうしたの?と聞けば、彼は敬語も忘れて言う。サイラスさんが帰ってこない、と。

「帰ってこない、ってことは神鳥宇宙に行ってたの?」
「ああ、なんか用事があるって向こうへ行ってから、予定時刻を数時間過ぎているけど帰ってこないんだ」

連絡も通じない。予定時刻を大幅に過ぎても帰ってこない。次元回廊に若干の乱れが見える。もしかしたら次元の狭間に落ちたのかもしれない。守護聖に頼むには忍びないし、レイナは俺たちの会話の夢を見ていないから、細かいことは知らないらしい。

「…正直、研究員以外で頼めそうなの、お前しかいないんだよ」
「わかった、とりあえず急いで王立研究院へ行こう」
「ありがとう、助かる」

研究院へ行く間に、状況をおさらいした。次元回廊は閉じてはいないから、誰かを向かわせることもできるが、その人も落ちてしまうと本末転倒になるからできない。サイラスからは、自分に万一のことがあっても気にするなと釘を刺されているそうだ。その場合は神鳥宇宙から別の試験官がやってくる手筈になっている。タイラーは正直お手上げだと言い、一部の研究員は次の試験官が来るのではないかと話し始めているらしい。

「わたしにできることって?」
「女王候補の祈り、だな。女王ではないけれど、お前でも効果は多少あるはずだ。サイラスの無事を祈ってくれ」
「わかった。やってみる」

こちらの回廊の前で、わたしは膝を折って祈る。サイラスが無事に帰ってきますように。次元回廊が安定して、しっかりと歩いて帰ってこれますように。またサイラスのたまごサンドが食べられますように——

「……只今戻りました。おや?様、どうされたのです?」
「あ、サイラス、はあ。…おかえり」
「只今。…なるほど、私の帰りが随分遅かったということですね。それは大変失礼いたしました」

タイラーは心底安堵した顔をしている。こないだサイラスのことがちょっと苦手だと言っていたけれど、仕事仲間としては信頼しているようだった。かく言うわたしも同じ顔をしているだろう。

「おかえりなさい、サイラスさん」
「大変申し訳ありません、途中で通販会社の配送センターがありまして、興味本位で社会見学ツアーに参加してしまいました。手元にすぐ届けてくださるための企業努力!私も見習わなければなりません。やはり通販は魅力的、心を掻き立てますね!——ああ、これはお土産です」

タイラーに配送トラックのミニカーを渡し、受け取った彼はなんとも言えない顔を向ける。まあとにかく、無事であったならよかった。気を張っていたのが、ゆっくり解けていく。タイラーはわたしに助かった、と伝えてきた。

「もうこんな時間です。私が様を寮までお送りします」
「ありがとう、サイラス」

御者はサイラスではなく、市民の人に任せ、彼も私と同じ馬車に乗り込んだ。そういえばサイラスの横に座ることは初めてだ。いつも対面が基本だったから。馬車はゆっくりと走り出す。

「こんなところでしか人目につかないところがありませんので。本日は帰りが遅くなり申し訳ありませんでした」
「いえ、何事もなくてよかったです。タイラーが血相を変えて部屋を訪ねてきたので」
「…そんな顔しないでください。あなたの執事サイラスくんはここにいますよ」

わたしがよっぽど心配した顔をしていたのか、珍しく困り顔で彼は言う。ええ、そうですね。わたしは無事でよかったなと言う気持ちで、力なく答えた。

「…これも御無礼の一つとしてお許しください」

少し迷って、サイラスはわたしを自分の胸に引き寄せる。

「…ほら、胸の鼓動が聞こえるでしょう。私はゼノ様が作ったアンドロイドではないんですよ。安心してください」

きちんと聞こえる心音と、その優しい言葉に、わたしは心からサイラスの無事を感じる。いなくなってしまったらどうしようと、平静を装いながらも、必死で祈ったのだ。女王候補ごときにできることは、ただ祈ることしかできないけれど。

「泣かないでください、あなたは笑っている方が素敵です」

長い指が私の頬に触れる。いつのまにか流れていた涙を拭うと、サイラスはわたしをまた掻き抱いた。体温があたたかく、触れているところにじんわりと熱が伝わっていく。馬車はゆっくりと止まり、わたしたちも車から降りた。

「部屋までお送りします」

もう通常運転のサイラスに言われるがまま、わたしは自室へと戻る。いつも通り部屋に入ってきた彼は、少し言いにくそうに話し出した。

「…こんなことを言っては何ですが、寝る時はナイトブラをお召しになってください」
「な、?!」
「私だけならまだしも、タイラーや研究員にもその姿を見られるとなると、ちょっと良くありません。男は単純ですからね。開いた襟ぐりからエロスが溢れていました。これではうっかり『女王候補様だけどいけるかも』と思ってしまいます」

赤面。恥ずかしい。
そういえばタイラーに呼ばれて、パジャマのままなのであった。抱きしめられて、あたたかさを感じたのは、単純に冷えていたから…?!

「まあ昨日はバタバタしていて皆さんあまり覚えていないと思います。今日はゆっくり休んでください」

——お疲れ様でした。


すっかり元通りのサイラスは、いつもの挨拶をしてさっさと部屋から出て行った。わたしはもやもやとしたまま、ベッドへと滑り込む。わーっ、はずかしい!!


20210529