わたしは医者嫌いというか、病院嫌いである。単純に行くのが面倒とか、治療が怖いとか、そういうことで行きたくない。
…いやぶっちゃけ言うと医療費が怖いので行かない。お陰様で、毎年の健康診断はパスしているし、風邪もあまり引かない。自ら進んで来ない、そんなところに、いまわたしは辿り着いた。東城大学医学部付属病院、何ともまあ大きい大学病院ですこと。


「課長~…」


わたしはいまひとりである。ため息をつきながら、そのガラス戸の中に入った。
受付で委員長室を訪ね、案内してもらう。高階院長には昨日電話で伝えてあったので、若造のわたしが来ても気前良く通してくれた。


「きょうから宜しく頼むよ」
「はい、3ヶ月間お世話になります」
「それにしても、安形くんがインフルエンザとはねえ…」
「来週からは来ると思いますので…すみません…」


笑えない。本当に笑えない。
わたしの課長は、大事な仕事の前にインフルエンザになりました。頭を垂れ、陳謝すれば、大丈夫大丈夫、と院長は笑った。


「院内を軽く案内しようと思うのだが、時間は?」
「は、はい。ありがとうございます、お願いします」


扉の外には小柄なお医者さんが待っていて、あとは彼に任せてあるから、と院長。どうもと会釈を済ませ、小柄なお医者さんに目を向ける。


「心療内科の田口公平です。えーと、さん、ですよね」
「はい、です。宜しくお願いします」
「では院内を案内しますので、着いて来てください」


田口さんは、非常に穏やかなひとで、すれ違う患者さんにも信用されているようだった。
大学病院の先生っぽくなく、とても話しやすそうなひとだ。心療内科って言ってたし、確かに外科のような手術は出来なさそうだなあ。


「…で、ここがオレンジ新棟、救命センターです。センター長が速水先生」
「速水さん、と」


失礼します。
部屋に入れば、センター長室はモニターだらけであり、速水さんは熱心に画面を見ていた。今までご挨拶してきた部屋とは一風変わっている。
机の上の書類はまあどこでも同じであるが、点滴のパックに、チュッパチャップスのツリーがある。極端な偏食家であることが伺える。


「速水先生、こちらシステム管理会社・電菱のさん」
「…きょう来るのは課長の安形とかいう男じゃなかったか」
「安形はインフルエンザにかかりまして、代わりに部下のわたくしが参りました。です。これから三ヶ月間、システムの入れ替え作業を行います」
「ああ、頼むぞ。作業時間は?」
「時間は夜間より日中がよいとのことでしたので、昼間を予定しています。ですが、変更はいくらでも利きますので、すぐお呼びいただければ」
「わかった」


作業工程と連絡先などの資料を渡し、ではこれで、と田口さんと共に部屋を出た。妙な緊迫感がある部屋だった。ますます病院が苦手になりそう。


「緊張してましたね。お茶でもいかがですか?」


こう見えて皆さんのケアが仕事ですから、と田口さんは笑った。わたしはお言葉に甘えることにし、不定愁訴外来というところにお邪魔した。


そこは所謂愚痴をこぼす部屋だそうで、心底大変な仕事だろうなあとわたしは思った。救命救急も勿論大変だ。生死に関わることだもの。でも精神的な問題、そう、例えばクレームのようなものを処理していくって大変だってことは身に染みて分かりますよ…。部屋に通してもらうと、まるで保健室のような小さな部屋がそこにはあった。


「あれ~?グッチーその女性は?」
「わっ白鳥さん、居たんですか」


どうも初めまして、と会釈する。田口さんは律儀に紹介してくれた。
本当に保健室じゃないか。サボりのひとまでここに居るなんて。ちょっと面白い。


「システム管理会社・電菱のさんです。救命の情報管理システムの入替のために、三ヶ月も作業されるんですよ」
「電菱の? これまた若いひとを送り込んできたね~」
「いや、その、本日課長が来る予定だったのですが、インフルエンザにかかりまして…」
「あら、それは災難だったねぇ。で、速水んトコはもう寄ったんでしょ?どうだった?」


興味津々、という感じで白鳥さんは聞いてくる。と、いいますと?そう聞き返せば、印象だよ印象!と彼は詰める。


「アイツを見て、どう思ったの?」
「はあ、仕事熱心な方だなあと思いましたけど。モニターの見つめ方が尋常じゃなかったですね」


バグ探しをしているSEのような目つきだと思った。そして常にあそこにいらっしゃるような気がするので、センター長室のシステム入れ替えが大変そうだなあとも思った。これは言わなかったけど。


「それだけ?」
「はあ、まだ何か」
「もういいでしょ、白鳥さん」
「じゃあ僕の印象はどうかな」


白鳥さんはわくわくした目をわたしに向けてくる。このひとタラシだなあと、何となく思うけれど、これは言わないのが吉だろうな。


「うーん、お医者さんじゃなさそうですね。あとは勘ですけど、看護師さんとか病院の方ではなさそう」
「あれ?ばれちゃってる?…ああそうか、グッチーのせい」
「まあそうですね」


わたしが笑うと、田口さんは戸惑いを隠せない。白鳥さんは口角を上に上げて、にやりと笑う。


「何が僕のせいなんです?」
「田口さんは、お医者さんには必ず『先生』をつけるんですよ。それを白鳥さんにはしなかった」
「確かに…」
「そしてスーツがおしゃれです。わたしはすきですよ、スリーピース」
「! ちゃん今度一緒にゴハン行こうね」


白鳥さんはわたしの手を握ってそう言う。是非、と笑えば彼はまたにやりと笑う。ああ、本当にタラシだなあこのひと。


「患者を除き、医者とか看護師、薬屋とも違うニンゲンに久々に会えて、しかも僕のこと褒めてくれるなんて!あっ、僕そろそろ行かなくちゃ!じゃあね、ちゃん、グッチー」


どうやら急ぎの用事があるらしく、彼は早足で部屋を出て行った。わたしと彼の雑談の間に、田口さんがコーヒーを淹れてくれた。ため息とともにこう切り出される。


「変わったひとですよね、白鳥さん」
「そうですかね?」
さんは、ああいうひと平気なんですか?」
「まあ似たカンジのひと、知り合いに居るんで」


課長と同じタイプのニンゲンだ。わたしはそう思う。




「それにしても、大変ですね。そんなに若いのに、病院のシステムを担当するなんて」


プレッシャーは半端ない。ましてや、それが人の生き死にに関わるなんて。
大変、という言葉で片付けてしまえばそうなのだが、本当に大変だ。わたしはプレッシャーで押しつぶされそうだ。


「…わたしは医者のように人を救ったり、ケアしたり出来ません。特に目立って出来ることなんてない。でもそのなかで、このシステムがお役に立てるなら、わたしは頑張れますよ」

そう言うと田口さんは、素敵ですね、と微笑み返してくれた。

つづく→
20140206 電菱というのは剣菱の電子部門みたいなイメージ。
安形はSKET DANCEのひとです。