捜査資料というのは、非常に細分化された紙面である。例えば殺人事件ならば、被害者・加害者の個人情報、殺害現場の写真や証拠品の様子、捜査の進展状況など、一つの事件に関わる資料は恐ろしく膨大である。ここ資料課は、お忙しい捜査課のみなさまに代わり、提出された捜査資料の整理整頓・データベース化の仕事を請け負っている。

警視庁の捜査一課は主に殺人事件を扱っており、そのため過去の事件の資料参照も非常に多くなる。そのため、ご希望の資料を探し出して提出するのも、また仕事なのである。

「資料課の~」

この一言で、資料課から大きなため息が聞こえるという噂がまことしやかに流れているが、実際本当である。ドアはノック無しに開かれ、鋭い眼光がわたしを捕らえた。

「はい、伊丹さん」

わたしは警視庁資料課7班、資料照会担当。
伊丹さんにこき使われていることで有名な、資料課の若手である。

「お前もよくやってるよなあ」

珍しく特命係に呼び出されたので、資料を持ってお伺いすると、特命のお二人と角田さんがゆったりくつろいでいた。杉下さんは白の美しいカップで紅茶を、角田さんはかわいいパンダのカップでコーヒーを飲んでいる。部屋は香ばしいかおりがして、普段居る埃っぽい資料課と雲泥の差を感じた。
亀山さんは、伊丹さんに何かとこき使われているわたしを気にかけてくれていて、哀れな後輩の頭を撫でてくれた。偉いなあ、そして本当にかわいそうだなあと言う亀山さん。

「皆さんが思っているほど、こき使われてないと思うのですが…」

わたしが答えると、杉下さんと角田さんも口を揃えて、いやいや、と言った。

さんは、実によく我慢して働かれていると思いますよ」
「伊丹の使い方はひどいからなあ…、しんどくなったらコーヒー飲みに来いよ」

警視庁のみなさんはやさしく、みんな娘のようにわたしを可愛がってくれる。とても嬉しいのだけれど、それが何だかむずがゆくて。わたしはどちらかというと、ぶっきらぼうな伊丹さんのような扱いの方がすきなのかもしれない。

杉下さんに資料をお渡しして、わたしは資料課へと戻った。
部屋は相変わらず雑然としていて、紙とインクと埃のにおいが充満している。仕事柄、飲食は厳禁なため、隣の給湯室は資料課のたまり場となっている。わたしはコーヒーが飲みたくなったので、お湯を沸かし、インサートカップをホルダーにはめる。

、俺もコーヒー」
「はい」

条件反射で答えたのはいいものの、振り返ると後ろに伊丹さんが立っていた。脅かさないでくださいよー、と言うと彼は別に、とため息と一緒に言葉を吐き捨てた。
こんなときはあんまり刺激しない方がよさそう。わたしはもう一つインサートカップをホルダーにはめ、インスタントのコーヒーを淹れると、どーぞ、と伊丹さんに渡した。彼はおう、とカップを受け取り、そのまま一課へ帰って行く。わたしは自分の分のコーヒーを淹れ、ゆっくり飲み干した後、昨日届けられた資料の整頓へ向かった。

資料課に配属されたことについて、わたしは何の不満もなかった。むしろ良かったと思っている。もちろん交番のお巡りさんに憧れていたこともある。一課みたいな、殺人事件の犯人を捕まえたいだなんて、刑事ドラマを見た人間なら、誰でも憧れるに決まっている。でも武道が苦手なわたしは、内勤の仕事を望んだし、その通りの仕事に就けた。いまはそんな一課だったり、角田さんや特命のみなさんのお役に立てているから、むしろやりがいを感じている。

一課もとい伊丹さんの担当になったのは、前任者が移動になったから。前任者Aさんは、あの横暴な資料参照要求の日々に耐えれなかったらしく、半年で移動願を出していた。上司曰く、「半年持ったのは長い方」なのだとか。そこで伊丹さんの苦手な女を担当にさせようということになり、わたしが次の日から7班となった。(7という班名は、上司が数字だけでも良いものにしたかったらしい)わたしは資料課に配属されて早々だったので、言われるがまま資料を探す日々が続いた。お陰で書庫の中で見つからない物はないし、仕事がなくて困ることもない。

科捜研の資料を貰って資料課に戻ってくると、夜も大分更けていた。警視庁の明かりは常にどこかしら点いていて、今宵の捜査一課も同様であった。わたしが階段を下りていると、一課のトリオとすれ違った。おつかれさまです、そう声をかけると、芹沢さんは元気におつかれ!と返事してくれた。三浦さんは気をつけて帰れよ、と声をかけてくれる。伊丹さんは相変わらずの鋭い目つきをして、わたしに一瞥を向けた。

外は冷たい雨が降っていて、すこし気が滅入る。傘を取りに行くのも面倒だった。地下鉄の入り口はすぐそこにあるし、幸い地元の駅から家までそう遠くない。すると後ろから声がかかった。

、」
「伊丹さん?」

今日の営業は終了しましたが? 冗談まじりにそう答えれば、気ィつけて帰れよ、と男は言う。ほら、と彼は黒い折りたたみ傘を差し出した。

「今度返せよ」

じゃあな、そう言って伊丹さんは足早に建物の中に入っていく。あっけに取られるわたし。ありがたくその傘を受け取って、何だかいつもと違う感じを覚えながら、わたしは帰路についた。

つづく→