STIR.03

次の日も、その次の日も、言葉では言い表せないくらい忙しかった。資料課が泊まり込んで作業することはまずないけれど、毎日早く出勤しては、終電ギリギリに帰宅すると行ったことが続いていた。あれから一課の仕事は全然ない。おそらく犯人の目星が付いたのだろう。明日もこんな忙しさが予想されたので、急いで残りの仕事を片付けた。へろへろになっている上司や同僚を追い返したところで、外の雨に気がつく。

「…かさ!」

伊丹さんに借りっぱなしの傘を返さなくては。きっと彼も困っているだろう。一課を訪れると、トリオの面々が頭を抱えていた。

「失礼しまーす、伊丹さーん、あのー」
「あっ!!」
ちゃんいいところに!」
「えっ」
「じゃあにさせよう、これで一件落着だ!帰ろう!」
「え、ちょっと」

三浦さんがわたしの肩をつかみ、「明日、10時に一課集合な」と言って帰っていった。何のことやらさっぱりわからないまま、とりあえず伊丹さんに声をかける。

「伊丹さん、」
「ああ呼んでたな、何だ?」
「傘、ありがとうございました」
「おう、」

傘を受け取ると、伊丹さんはわたしの顔を見て、何か言いたそうな表情を見せたものの、あーと言いながらその場を濁した。

「明日、すまんが一課に協力してくれ」
「はい」
「…お前はいつも良い返事だな」
「断る理由、ありませんから」
「…そうか」

失礼します、と一課を出た。もうすぐ終電、わたしは急いで階段を駆け下りる。明日はすぐそこまでやってきていた。
翌日一課に来てみると、交通課の同期が来ていて、急いでこれに着替えろと警官の制服を渡された。一緒に更衣室まで来た同期は、室内に誰もいないことを確認すると、わたしに向かって怒鳴った。

「あんた一課のパシリしてるんでしょ?ほんと大丈夫なの?」
「な、なにが」
「今日何するのか知ってる?」
「…知らない」
「アンタが容疑者に職質するのよ!」

そんなことは一切知らされていなかったので、呆然としてしまった。外の勤務はしたことがない。こういうのは普通、所轄の警察がやることなのではないか。

「輸入関連業者連続爆破事件、アンタも知ってるわよね。それで所轄は手一杯。だから所轄は動けない」
「でも一課の人が職質すれば…」
「男がやってみたら見事に逃げられた。だから女でやってみるんだって。以前女の巡査に容疑者が自分から話しかけてたらしいから」
「はあ」
「顔の割れていない、内勤の人間。ちょうど良かったのよ」
「はあ」

彼女はぷりぷり怒りながら、わたしの着替えを助けてくれた。制服を着ると、憧れの職に就いた気がして身が引き締まる。気をつけなさいよ!同僚は結局最後までぷりぷりしていた。後から聞くと、自分が手柄を立てたかったらしい。

一課に戻ると、そのまま車まで連れて行かれた。車に乗り込むと、伊丹さんから説明を受ける。

「今からアキカネ拳銃事件の容疑者の自宅周辺を包囲する。お前には、芹沢と一緒にそいつに聞き込みをしてもらう。理由は連続爆破事件があったから、怪しい奴を見なかったか、ということで、だ」
「はい」
「拳銃は持つな。奪われたら撃たれる」
「はい」
「頑張りすぎるな。誰もお前に期待してるわけじゃない。捜査の一環だ。んで、深追いもするな。周りに刑事がわんさかいるから、安心しろ」
「はい」
「…何か質問は?」
「アキカネ拳銃事件と今回の爆破事件の関連性は」
「…否定はできん」
「…わかりました」

現在狙われている輸入関連会社はX社のグループ会社だ。何かしらの関連性は大きいだろう。警官の配置を覚え、制服姿の芹沢さんと2人、現場に向かう。

「落ち着いて。何かあっても大丈夫だから」
「はい、足を引っ張らないよう努力します」

容疑者が家を出たインカムを受け、近くの住人に聞き込みを開始する。この住民も勿論刑事であり、わたしたちは数回練習をした。

「あの、お忙しいところすみません、今皆さんにお伺いしているのですが」
「…ンだよ」

容疑者に声を掛けると、些かキレ気味の返事を受ける。警察ですが、と、わたしは構わず続けた。

「最近近くで不審火による火災事件がたくさん起きておりまして、怪しい人物を見かけなかったかお伺いしてるんです」
「…見てねーよ」
「おとといの晩11時ごろ、お散歩やコンビニへ買い物など、外へ出てはおられませんか?ちょうどその頃、不審者の目撃がありまして…」
「見てねーって言ってんだろうが!」

大声で怒鳴る男。明らかに挙動不審。まあ警察にいきなり話しかけられたらこうなるかもしれない。芹沢さんがわたしをチラリと見やって、男に強く当たる。

「アンタ、X社の元社員だよな。転職でもないようだし?あんな高給取りの会社、何で辞めたんだ?」

容疑者は答えない。
男は唇を固く結んで、ポケットの中に手を入れ、我々の背後に一瞬目をやった。何かを握っている。
容疑者の視線に気がつき、わたしが振り向いた瞬間、待機中の刑事のひとりが拳銃を構えていた。姿を見せるのが早すぎる!

「芹沢さん!」

咄嗟に芹沢さんを壁際へと突き飛ばした。
直後に、左腹部に猛烈な痛みを感じた。ナイフが刺さっていた。いやそれだけじゃない、着弾、いや貫通?
容疑者の男が逃げ出そうとするのが見えて、わたしに手を伸ばす芹沢さんの手を振り払った。

「いいから、犯人、っ」

芹沢さんは容疑者の男を追いかけていく。わたしはその場に崩れ落ちた。案外あっけないもんだなあと思った。どうせなら、この事件の真相を資料にしたかった。

「特命係の亀山ァー!」
「わーってるよッ!」

瞳の端に、特命係が拳銃男を追って走り出す姿が見えた。亀山さんなら力ずくで取り押さえてくれるだろう。
腹部を見れば、自分の血液を見て失神しそうで、痛みに耐えながら、わたしは固く目を閉じていた。

「…、、しっかりしろ!」
「…」
「バカ野郎、返事しろ!お前の取り柄だろうが!」
「…」
「目を開けろ!!!」

さむい。意識が薄れていく。まるで刑事ドラマのワンシーンだ。ナイフと拳銃、両方の攻撃を受けるなんて、早々ないことだ。笑える。わたしは伊丹さんの腕の中で、死にかけている。これまた笑える。
伊丹さんは、わたしの傷口を押さえ、必死でわたしの名を呼んでいた。

「いた、み、さん、」
「、、死ぬな、」

単純に伊丹さんに心配されてうれしく思った。不謹慎だけど、この状況がうれしく思えた。そうだ、お願いしてみよう。今まで無茶ぶりをいっぱいやってきたんだもの、一つだけ叶えてくれますでしょうか。

「いたみさ、ん、おねがいが、」
「ああ、何でも聞いてやる。だがお前が死んだら意味ねェだろうが、なあ、おい、おい!」

伊丹さんの腕の力が強くなり、彼に引き寄せられる。彼はあたたかくて、わたしは安心した。

つづく→