いつも電車にはとってもお世話になっている。大学に行くには電車がないと始まらないし、家に帰るには電車に乗らないと帰れない。ちょっと遅くなった23時、車内のひとはまばらである。わたしは椅子に座ってうつらうつらしていた。今日はバイトが忙しかったのだ。少々眠い。幸いにも明日は休みだし、バイトもないことを喜ぶ。
そろそろ着くかなというときに目を開けると、何だか左肩が重い。隣には白ランで有名な山吹高校の男子生徒が座っていた。彼はテニスのラケットバッグを脚で挟んで、わたしの肩に頭をもたげてすうすうと眠っている。
電車が止まっていることに気がついたのはその時だ。アナウンスは車両故障のため、停車していると言っている。……これは動かないだろうな。もうすぐ深夜0時を超えてしまう。

わたしのいる車両には、自分と隣の高校生しかいなかった。彼の顔を覗くと、髪は銀髪で逆立っており、眉も綺麗に整えられていて、近寄りがたい感じだった。みんな逃げたのかもしれない。故障により車内の空調が止まっている。非常用の暗いライトのなかで、隣の人間の暖かさというのは、意外と安心感があった。

――大変申し訳ございません。車両復旧のめどが立たないため、駅まで徒歩でのご案内です。係員が一号車の扉を開けますので、そのまま進行方向へお進みください。

そんなアナウンスが流れた。わたしはそっと隣の青年の太ももを叩いて起こす。んあ?と低い声で彼は唸った。

「暗…?」

車内の暗さに驚いている。そりゃそうだよね。

「電車の車両故障で動かないみたい。次の駅まで歩いてくださいって言ってるよ」
「………」
「先頭車両まで来てって」

彼は黙っている。わたしもそれ以外話すことはないので、わたしは荷物を持って立ち上がる。

「行こ」
「…ああ」

彼はゆっくりと立ち上がり、鞄を肩にかけて先陣を切って歩き出す。わたしは彼に続いた。先頭車両では乗務員が謝っていて、とにかく歩いてくださいとしか言えないようだった。他の乗り物で迎えに来るのも無理だし。仕方ない。
彼も文句ひとつ言わず電車を降りていく。終電より少し早い時間の電車だったからか、乗客はほとんどいないらしい。先に人影が幾つか見える。
線路の傍を歩くのは初めてだ。砂利道はヒールでは歩きにくくて仕方なかった。のろのろと歩きながら、前の背の高い高校生を追うけれど、距離はどんどん開いていくばかり。

「…靴脱ぐか」

どうせストッキング破れてたし。わたしは靴を脱いで、ヒールのかかとを手に一つずつ持って、前の彼を追いかける。足の裏が痛いけれども、高校生を見失う方がなんとなく怖かった。何せ暗いのだ。
しばらく歩いて彼に追いつくと、その後ろを静かに歩いた。ゆっくり足をつけないと痛い。足元を目を凝らしながら歩いていると、高校生に声をかけられた。

「おい。お前、靴」
「歩きにくくて。だから脱いだの」
「バカか。足の裏切んぞ」
「ヒールだと足くじくかなって」

彼は盛大なため息をつく。バカな女だと思っているのだろう。正直なんか心外だ。ほら早く行こ、と彼を促すが、高校生はラケットバッグから何かを取り出し渡してきた。

「靴下。ちゃんと洗濯してある」
「貸してくれるの?」
「やるよ」
「じゃあわたしのパンストの予備あげるよ」
「いらねェ」

貸してくれた白い靴下を履く。すごくあったかい。自分がかなり冷えていることに気がついた。靴下はかなり大きいけれども、パンストより何倍も歩きやすいし、足の裏は全然痛くない。

「貸してくれてありがと」
「別に」

彼はそのまますたすたと歩いていく。わたしは酔っ払いのように靴を手に持って、線路傍を歩いた。何だか不思議な夜だ。
目的地までは終始無言であった。それでもこの高校生は、わたしのことをぶっきらぼうに気遣いながら、すこしゆっくり歩いてくれる。彼と、彼の靴下に多大な感謝を感じた。

軽く1時間ほど歩いて、ようやく次の駅に着く。砂利道でなければ多少早かったと思うけど。ホームに上り、改札をそのまま通る。コンクリートは歩きやすいと思って、ようやく自分の格好に気がついて急いで靴を履いた。靴下が溢れているが仕方あるまい。

「キミ、家は近く?」
「ああ?何だよ。泊めねーぞ」
「違うよ。タクシー乗るから。送ってあげる」
「さっさと帰れ。俺に構うな」

高校生はじゃあな、と言ってすたすたと去っていく。さっきは本当に手加減して、わたしに合わせて歩いてくれていたらしい。今度山吹にお礼の品を持って行こうと決めた。あ、名前くらい聞いておいたらよかった。