1わたなべさんとわたし

渡邊さんは週末になるとたいていやってきて、砂糖と牛乳たっぷりのカフェオレをのむ。そしてうちにあるスポーツ新聞を真剣に読んで、阪神でレースがある日は競馬場に出かける。レースのない日はパチンコ。そしてうちの喫茶店でまたカフェオレをのむ。わたしは1回生からここでアルバイトをしていて、色んなお客さんを見て来たけど、この人はまだ若そうなのにほんとに毎週来ていた。渡邊さん、と名前を知っているのは、付き合いの長い店長が教えてくれたからだ。彼はパチンコに買ったとき、景品のお菓子をわたしによくくれる。

ちゃん、きょう勝ってん!ほらマカダミアナッツやるわ」
「渡邊さんありがと」
ちゃんはいっつも貰ろてくれるなあ」
「わたし貰えるもんは何でも貰うって決めてるんで」
「そらええわ」

そんな彼が突然来なくなったのは、大学2回の夏。まるまる1ヶ月、渡邊さんはうちの店に来なかった。ついにアカンことをしたのかと、店長とヒヤヒヤしていたある日、渡邊さんはいつもと変わらない服装でやってきた。チューリップハットに、くすんだ茶色のズボン。

「渡邊さん!」
「おーしばらくぶりやなあちゃん。元気しとったか?」
「それはこっちが言うことです!渡邊さん、最近なにしてたんですか?」
「ん~?いやまあ、顧問しとるテニスクラブが全国大会あってなあ、それについて行ってたんや」
「わたなべさん、せんせいなん…?」
「そや。言うたことなかったか?」

衝撃だった。
このひと毎週ギャンブルしてるで。しかも相当負けてるで。この人が教師で大丈夫なんかこの学校。心配や。長い付き合いの店長も知らなかったらしく、「くんどうしよう、渡邊さん先生しとるとか信じられんわ…」とコソコソ喋ってきた。(「おいそこ聞こえてるねん」) 聞けば、渡邊さんは四天宝寺中学校の先生だそうだ。
その顧問をしているテニス部が、全国ベスト4に入ったらしく、彼は部員に流しそうめんを奢ったと声高らかに言った。

「ケチや」
「ケチっすね」

店長とわたしは声を揃えて言った。運動部の中学生に流しそうめんて。カロリー低すぎるやろ。割に合わない。全国大会なのに流しそうめんって割に合わんよ!しかしながら、わたしと店長の2人とも、そのチョイスの理由がよく分かる。何故なら渡邊さん(の財布)はスカンピンであるからだ。

「しゃーない。金ないもん」
「ギャンブルやり過ぎですよ渡邊さん…貯金なんてないんでしょ?」
「ありそうに見えるか?」
「い・い・え」

わたしは即答した。ダメだこのひと、本当にダメな人間だ。これで教師をしていていいのか不安だ。心から残念に思って、ため息が出た。

「ほないつもの頼むわ」

渡邊さんは砂糖と牛乳たっぷりのカフェオレを注文する。店長はやれやれといった顔をして、ミルクを沸かしに行った。わたしは他のお客さんに呼ばれて、注文を取りに伺う。

それでも一ヶ月ぶりに渡邊さんが来て、なんだか気分が晴れやかだった。とにかく元気そうで良かった。ようやく週末が来た気がする。常連のおじさんに、「きょうは顔色がいいね」と笑われる始末だ。本当に心配していたのだ。ついに破産したのか、捕まったのか、そんなことを考えていたから。まさかクラブ活動に従事していただなんて、想像だにしなかった。

ちゃん、ほなお会計」
「はい450円です」
「ちょうどで」

渡邊さんはそう言って小銭をポケットから差し出す。言われてみれば、その手はすこしごつごつしていて、ラケットを握っている形をしているのかもしれない。血管がよく見える色白の右手。

「もしもーし、ちゃーん」
「ああ、すみません。ちょうどいただきます」
「ほなおおきに。また来週」

渡邊さんはつっかけをすてんすてんと鳴らしながら帰っていく。わたしはまた来週来てくれるという、その口約束がお世辞であったとしても嬉しかった。