3わたなべさんとわたし

翌週末もバイトがある。一体どんな顔をして渡邊さんに会えばいいのだろう。わたしはその一週間、なんだかそわそわしてしまった。勿論就活は続けていて、ようやく最終選考にいくつか引っかかっていた。しかしながら運命というヤツは残酷で、わたしはことごとく失敗した。就活は決まらなければ決まらないほど、自分を追い込んで行く。自分の全てを否定された気分になるのだ。だからこのアルバイトは、居心地がいい。みんなが名前を呼んでくれるし、重宝してくれる。ありがたいことだ。

「てんちょー…」
「その声だとダメやったんやねえ…」
「わーんてんちょー!!」

泣きまねをしてみせる。正直心はすっかり参っていた。もう本当に諦めたかった。自分を欲しがっている会社なんてある訳がない。そうとしか思えない毎日。ごはんも美味しく感じられず、ちょっとだけやせたのだった。

「なんやちゃん、またあかんかったん」
「渡邊さんうるさい!!」
「はいはい」

いつもの、と彼は言い、スポーツ新聞を取るとあくびをしながら読み始める。一体先週のあれは何だったのだ。おっさんたちみんなでわたしをからかっているのか。ちょっとドキドキしていたのが馬鹿らしいほど、渡邊さんは通常運転だ。何だか悔しい。わたしだって通常運転で仕事してやる!わたしもいつものように灰皿を渡邊さんのテーブルに置いた。

「ああ、俺煙草やめてん」
「嘘やん、あんなに吸ってたのに?」
「禁煙しろって言ったんはちゃんやろうに」

あれだけわかばを吸い尽くしていた男が、そんな一言だけで禁煙できるとは思えない。ここで毎週一箱吸っていたのに。うそうそ、今日切らしてるだけでしょ、買ってきますよ、と言えば、彼はいらんよ、と笑った。

「お嫁さんになるコの言うことは聞かんとなあ。なあちゃん」
「誰もそんなこと言ってませんけど!」
「ええからええから。俺が貰ったる。っていうか俺を貰って」
「いらない!」
「えー? 『わたし貰えるもんは何でも貰うって決めてるんで』って言ってたんはどこの誰かなあ」
「マカダミアナッツとは話が違うねん!」

店長に呼ばれて、「いつもの」カフェオレを取りに行き、渡邊さんのところへ持って行く。すると彼は新聞紙を机に置き、懐から何やら白い紙を取り出した。ちなみに言うと彼は鞄を持ち歩かない。

「ほな俺からちゃんにええもんやろう」
「何これ」
「求人」

ひらひらと紙切れを揺らして、それをわたしに手渡してくる。中を見ると、それは四天宝寺の学校事務の募集要項だった。事務には教員免許はいらない。募集人数は少ないが、つまりわたしにもチャンスがあるということだ。

「…どや?受けるか?」
「う、受けます!」
「よっしゃ。ほな今履歴書書いて。明日持ってくわ」
「はい!」

まさに天からの恵み。わたしは手持ちの履歴書に、志望動機を書いた。店長は「受かるとええね」と笑ってお皿を拭いている。ボールペンを持つ手が震えた。それを封筒に入れて、渡邊さんに渡す。

「一個だけ条件な。これが受かったら俺と付き合ってな」
「な、え、でもそれ受からなかったら」
「受かるに決まってるやろ。大丈夫や。これで俺もハッピー」

渡邊さんは封筒を懐に大事にしまうと、今度は競馬新聞を読み始めた。またもや通常運転に戻ってしまったという訳だ。ところで、このわたしの気持ちは何なのだろう。一体何を期待していたというのだろう。別に渡邊さんから、わたしを認めている言葉が欲しかったわけではないはずなのに、何かを言ってほしかった。
わたしが買い出しに行っている間に、渡邊さんは帰ってしまったらしい。戻ったらテーブルには空のカップと未使用の灰皿しかなかった。