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エンジニアチームの仕事は今からが本番だ。へろへろのわたしは冬島さんに技術開発室まで連行される。開発室は、先ほどのブラックトリガーのせいでそこそ損傷していて、わたしはため息をついた。「さあ、各所を修繕するぞ!」
妙に元気なリーダーが叫び、我々は本部各所へと散らばった。そこからはまた別の意味で地獄の三日間であった。
忍田さんが各所の損害状況をまとめてくれ、それを見たリーダーは膝から崩れ落ちた。損害の多さに先ほどの元気さはどこかへ行ってしまったらしい。
通信室は崩壊、訓練室の壁はすぐに補修したけど、通常使用するには強度が全く足りない状態。外壁はイルガーとバンダーの攻撃で大破損がある。隊員のほとんどがトリガーをオンにしたため、貯蔵していたトリオン体も減少。すぐに再度侵攻されては困る。それにキューブ化を解くのも仕事だ。本部内をあっちこっちを回って、わたしたちは三日間不眠不休で働いた。そして四日目に日付が変わった頃。
「がァーっもうだめですー医務室行きますぅー」
「おー泣くなよ」
「うっがんばります」
「明日非番でいいから、体力戻してこいよ」
「ありがとうございます」
もう体力がない。ごはんをまともに食べていないのでカロリーも足りないし、栄養も足りない。睡眠も足りない。トリオンも足りない。とにかく無茶のしすぎで何もかもすっからかんになってしまったわたしは、先生に怒られること必至で医務室へ自ら向かった。
「すみません」
「ぼろぼろだなァ。とにかくそこに寝ろ。点滴してやる」
今日の先生はちょっとだけ優しい。先生はエンジニアチームのリーダーと兄弟だ(先生の方がお兄さん)。弟から聞いてるよ、治してやる。先生は点滴の準備を始める。わたしは医務室のベッドにもぐり込んで、そのまま緊張の糸が切れて眠りこけた。なんせ丸三日以上起きているし、トリオンはぎりぎりのところでやっていたのだ。散々働いたので夢も見ずに寝て、目が覚めたら夕方だった。医務室には誰もいなくて、点滴もどうやら終わっているらしい。腕には何もついていなかった。
さっきより大分元気になったので、わたしは自室へ戻ってお風呂に入る。ずっと風呂に入りたかったのだ。でもそんな個人の欲求より、組織の安全の方が重要なことはわたしでも分かる。ゆっくり髪を乾かして、簡単だけどごはんを軽く作って食べ、自室のベッドで眠った。
翌日朝早くに目が覚めたので、ラウンジで朝ご飯をしようと支度をする。普段着なんて持っていないから、技術者のいつもの服だけど。着替えて部屋の外に出れば、そこには諏訪さんが立っていた。私服姿が珍しい。紺色のモッズコート。
「おっとすみません、諏訪さん?」
「あー、えー、その、お前、体調は」
「まだ本調子ではないですけど。昨日よりは元気です」
「トリオンの量は?」
「ずっと出しているので、あんまり回復してないんですけど、だいぶ寝たので、今は半分くらいってとこですかね」
実際の回復量は二割といったところだけど、それは言わない。
心配かけてすみません。大丈夫ですから。
そう言うと、諏訪さんは苦い顔をする。何度見ても、その顔は苦しい。わたしは諏訪さんに、そんな顔をしてほしいわけじゃないのだ。
「あの。立ち話も何ですし。よかったら」
「邪魔するな」
「え、そうじゃなくて」
ラウンジへ行きませんか。そう言いたかったのに、諏訪さんはわたしの部屋へ押し入って来た。
「んだよこの資料の山は…」
「ちょ、ちょっと、諏訪さん、ラウンジ!ラウンジに行きましょうって」
「いーから。メシくらい作ってやるよ。キッチンあるんだろ?」
「な、諏訪さん」
ずかずかとわたしの部屋に押し入って来た諏訪さん。テーブル片付けとけ、とわたしに言い残して、彼はキッチンを漁る。ちなみに食料に関して、わたしは買い物に出れないので、ラウンジの食料庫から勝手に拝借している。もちろん城戸さんとラウンジ担当者に許可は取ってある。
部屋を片付けていると、美味しそうなにおいがする。諏訪さんは料理が上手いらしい。キッチンにはラフな服装になった諏訪さんが立っている。
「出来たぞ」
「あ、りがとうございます」
食パンには焼けたなすとベーコンが乗っていて、その上にチーズがとろけていた。味もおいしい。ようやくまともなごはんを食べれて、わたしは自然と顔がほころんだ。諏訪さんも自分の分を食べている。この部屋に、自分以外の誰かがいることの不自然さに、わたしは戸惑ってばかりだ。
「…ありがとな」
「何ですか、急に」
わたしが食パンを食べ終わると、テーブル越しに諏訪さんが話しかけてくる。
「お前が俺をキューブから出してくれたんだろ」
「…出したのは確かにわたしですが、本部まで運んだのは堤さんと日佐人くんです」
「知ってるよ。だからお前に礼を言いに来たんだよ」
「誰の差し金か分からないですけど、ご丁寧にありがとうございます」
わたしは数日前の、あのときの出来事を思い出す。諏訪さんがキューブから出てこなかったら、この処置が間違っていたら、そんなことで頭が一杯で、今にも崩れてしまいそうだったあのとき。
「…本当に、良かった」
泣くのを我慢していた訳じゃない。キューブ化が解けたときも泣いたけど、今はただ、諏訪さんが無事であることに安堵した涙で、止めることが出来なかった。
死んでしまったかと思った。一生キューブのままかもって思った。そう思うと、胸が張り裂けそうで、とにかく必死だった。
諏訪さんはわたしの座っている椅子を引き、ぐずぐずになっているわたしを抱えた。初めてわたしの名前を呼んで、初めてわたしに触れた。
「、」
その言葉で、わたしはびくん、と反応する。身体中の血液がぐるぐると循環して、たぶん真っ赤になっていると思う。泣き顔なんて見られたくなかったのに。諏訪さんはわたしのことすきでもなんでもないはずなのに。それでも、やさしくしてもらえて、とにかく諏訪さんが生きていて、わたしは泣くのをやめられなかった。
「お前を泣かせたいわけじゃないんだが…」
困っている諏訪さんに、すみません、と伝えるが上手く言えない。呼吸がつまっていく。
「…全部聞いた」
「な、にをですか」
「センセーとか、技術のさんとか、本部長とか、周りの奴にも色々と。お前がこの本部のトリオンを担ってること。俺のせいでトリオンが減ってること」
「そんな、諏訪さんは、関係」
「関係なくねえ。ってか、関係させろ。俺のせいだろ、完全に。さん言ってたぞ? 隊員一人、キューブから戻すのに相当なトリオンを使うって。『の奴だからお前をすぐに戻せたんだぞ』って」
確かにそれは事実である。隊員をキューブ化から解くには、当人のトリオン体のおよそ七倍もの量が必要だった。
ようやく呼吸が落ち着いてきた。諏訪さんはわたしの背中をゆっくりとさすってくれる。
「お前、何で俺がいいんだよ。他にもいい奴山ほどいるだろ」
「わた、しは、」
「あーもういいから。俺こういうの初めてだからどーしたらいいかわかんねーけど。…こないだつまんねーこと言って傷つけて悪かった。そんなつもりじゃなかった」
「それは、わたしこそほんとに、ごめんなさい」
諏訪さんに気を遣わせてしまったのだと今頃気がついた。今日のことは、先生とか冬島さんの差し金かもしれない。わたしの元気がないから、元気付けてこいとかなんとか言われたのだろう。キューブの件で借りもあるから、来てくれたのだ。そう思うと、何だか頭がぐらぐらしてきて、心の中に真っ黒の穴が開いた気分だった。
わたしはそっと諏訪さんの手をほどいて、顔を洗ってきます、と言ってその場から逃げた。洗面台に立ったところで、わたしは自分の心に負けた。