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目を覚ましたら医務室だった。諏訪さんに会ったのは夢だったのだろう。時計はまだ昼の十二時で、寝すぎていなければ今日は休みのはずだ。起き上がって先生に声を掛けると、点滴しといたと笑っていた。「明日からは元気になって戻ってこいと、お前んとこのボスが言ってたぞ」
「がんばります・・・」
まだまだトリオン量が足りないから、トリオン貧血に注意だ。先生に一言言われて、はあいと返事をした。とぼとぼ歩いて自室に戻ると、いいにおいがする。何事だ?
「お、戻ったか」
「え、な、え、諏訪さん?」
「お前、食料ラウンジからもらってんだろ?いいよなあ」
「一体何して…?」
「決まってんだろ。メシ作ってんだよメシ」
そこはかとなく部屋が片付いている気がする。何より朝の出来事は夢ではなく現実だったのだろうか。確かに諏訪さんは今朝と同じ紺色のモッズコートを椅子にかけていて、細身の黒のパンツに白のシャツというのは同じ服装だ。でも、だったら、何故諏訪さんがわたしにごはんを作ってくれているのかわからない。
「今日は男のカレーな」
「!」
諏訪さんがすきなビールで煮込んだというアイリッシュ風のカレーは、正直言うと絶品だった。みんなにも食べてほしいくらいの出来映え。弱っているわたしの胃腸、超がんばれと思いながら、その刺激物をかき込む。諏訪さんは余りなのかとっておいたのか分からないけど、ギネスビールをグラスに注いでいる。ステンレスタンブラーは、リーダーにもらったものだ。結婚式の引き出物らしい。
「ごちそうさまでした」
「ちょっと顔色良くなったな」
「…あの、今朝って、」
洗面所に行ってから記憶がない。さてはトリオン貧血で倒れたのかもしれないし、そもそもあれが夢だったかもしれない。確認を取らずにはいられなかった。
「洗面所に行くって言って、ドタッって言うもんだから見たらきっちり倒れてた」
「…申し訳ありません」
「謝んな。俺が惨めになるから」
「なんで」
「なんでって、今朝も言ったけど俺のせいだからだよ。お前のトリオン量、今で二割くらいだろ」
「なんで分かるんですか…」
計測装置をつければ誰にだって見えるが、今の諏訪さんは生身だし、何より装置をつけているようには見えない。知らない間にそんな機械ができていたのだろうか。
「お前が俺を見てるよーに、俺もお前を見てたからだよ」
「…ごめんなさい」
「ったく、謝んなって言ってんだろ」
やっぱりだ。諏訪さんは気を遣っているのだ。これは先生の差し金かな。
「…お前、トリオン量少ないんだよな」
「はい」
「それって、今ならここを出ても大丈夫ってことだよな」
「?!」
確かに、そうかもしれない。実際先日の大規模侵攻で外に出たけれど、そのとき襲われることはなかったので、隊員くらいの量なのかもしれない。わたしは自分のトリオンの総量が、誰と同じくらいなのか知らないのだ。
「行きたいところ、あるか」
「ないことないですけど、諏訪さんと行くようなところじゃ…」
「何だ、ヤマシイところか」
「ちがいます!その、両親の墓参りに…」
「そっか。…じゃあ行くか」
一服してくっから、その間に準備しとけよ。そう言って、諏訪さんは部屋を出て行った。きっとこれも、諏訪さんの“奉仕活動”の一環なのだ。わたしは迷いながらも準備をする。私服という私服を持っていないので、わたしは今日も技術者の制服だ。コートも持ってないから作業用のジャンパーである。
「私服持ってないのかよ」
諏訪さんは呆れた顔をしていた。外に出ることがないので、そう言えば彼はまた苦い顔をした。きっとそれは哀れみの顔なのだろう。わたしたちは城戸さんを探す。司令は執務室に居た。ノックをすれば入れ、と声がする。部屋には諏訪さんも着いて来てくれた。
「おはようございます、です」
「ああ。どうした」
「単刀直入に言うと、今日だけ外に出てもいいですか?トリオン量二割ってところなんですが」
「…二割だとしても、玉狛のトリオンモンスターより大分多いんだがな」
「マジかよ…」
「何かあったらそこの諏訪の責任だ。だったら出ても構わん。いいな諏訪」
「はい。勿論」
失礼します、と部屋を出ようとすれば、少し待て、と城戸さんが止める。
机の中から何かを探し出すと、わたしのところまで持って来てくれた。
「持っていろ」
「これは?」
「トリオン回収装置だ。ここに蓄積すれば、体調は悪くなるだろうが、近界民には見つかりにくい」
「お気遣いありがとうございます」
城戸さんから腕につけるタイプの回収装置を借りて、わたしたちは外へ向かった。ボーダーに住み始めて二年。作業以外で外に出たのはこれが初めてのことだ。
わたしの両親は二年前に死んだ。近界民に殺されたのか、一般的な事件だったのかは定かではない。でも何かの事件に巻き込まれて死んだらしいというのは、当時から何となく分かっていた。今思えば、ボーダーがその後の生活を手引きしてくれたということは、きっと近界民関係の事件なのだろう。そのあとわたしの近くでゲートが開いて、それがきっかけでトリオン量のことが判明し、エンジニアとして抱えてもらっている。
両親の墓は、三門市の集合墓地にある。とはいえ小さい山の中にあり、二年間手入れされていなかったので草だらけだった。昼下がり、太陽の日差しが眩しい。
「付き合わせてしまってすみません」
「一人より二人の方が早いだろ。いいから、草抜けよ」
「はい」
諏訪さんにも手伝ってもらって、二年分の草をむしって、石を磨く。それだけで何時間も経ってしまっていた。そしてここに来るまでに買って来たお花と、諏訪さんのたばこを一本供える。青のハイライトは、偶然にも父が吸っていた銘柄と同じで、ちょっと胸が痛くなった。線香に火をつけて、手を合わせる。諏訪さんも手を合わせてくれた。
「手伝ってもらってスミマセン」
「気にすんな。俺もお前のご両親に言っておきたいことがあったしな」
言っておきたいこと?そう聞き返せば、諏訪さんはちょっと真面目な顔をして答える。
「娘さんをください、だよ」
「…なにを言ってるんですか」
「」
「はい」
「俺、お前のこと好きだわ」
真っすぐに目を見ながら、諏訪さんは軽くそう言った。そしてあー、と言ってたばこに火をつけると、ゆっくり話しだす。
はじめはなんだコイツって思ってた。もっといいヤツ山ほどいるのに、コイツは俺のことからかってんだって思ってたけど、実際本気で。毎日のようにしぶとく見つけてきては、笑顔でいるんだよなあ、これが。エンジニアなんて、俺たちより大変な仕事なのによ。
気がついたらこっちも目で追いかけてんのに、恥ずかしくて目を合わせらんねえ。そしたらコイツは周りの男と、まあ仲が良いわけだ。俺には全然、指一本触れもしないくせによ。…それは俺もか。ま、とにかく、俺は周りの奴らに心底嫉妬して、どんどん眉間にシワが寄っていくという寸法だ。終いには照れ隠しの一言で、アイツは会いに来なくなったし、話しかけてもかわされる。終わったと思ったよ。
近界民にトリオンキューブにされて、それを助けてもらった礼を言いに来ても、「誰の差し金か」とか言われて。結構落ち込んだんだぞ。それでも、めげずにデートに誘ったら、ご両親の前に出されて。
「ンなもん、娘さんくださいって言うしかねーだろ」
「諏訪さん、いまの、ほんと?」
「しつけーな、ほんとだよホント」
帰んぞ、そう言ってわたしの手を取る諏訪さん。ようやく笑えるようになった気がする。わたしの冷えた手は、彼の大きなてのひらでゆっくりとほだされていく。
久々に見た空は青く、赤く、そしてまっくろの闇をたたえていて、星がよく見えるのだった。