慶次殿と別れてから数日後、石田殿が屋敷を空け、しばらくして戻ってきた。
 世にいう清州会議のあと、私の部屋を訪れたのは秀吉殿だった。



 織田信長の後継者争い。
 清州会議にて大義名分を得たのは羽柴と柴田の両者であった。周辺の政局を見れば、幾分か羽柴に分がある状況だ。上杉が中立の立場を取りつつも様子を伺っている。

 私の今の状況下で、秀吉殿の元を離れ柴田に与することは不可能と言い切れる。孫市兄様をいわば人質に取られ、実質的に世話になっている。だがしかし、私はどうしても柴田とは戦いたくなかった。全てを知っている左近は、重苦しい顔で悩む私を見て、小さくため息をつく。

「姫はどうするおつもりで?」
「戦はしたくない。それだけ、でも私には何もできない…」
「…そうですね、まだ戦うと決まった訳じゃあない」

 左近はまたため息をつくと、日の当たる縁側に座る。穏やかな陽気ですねえ、と溢すその表情は、思慮深い暗さを湛えていた。私は左近に何も言えない。ただ同じような顔をして、静かにその時を待っている。

 慶次殿が置いて行った脇差を眺めれば、私はますます迷いの渦の中へと落ちて行く。答えなど出せるはずもなかった。私にとって羽柴も柴田も、守るべき大切な人なのだ。いっそ山崎で散ってしまえればと毎日思って泣いていた。そしたら孫市兄様を助けられたことで満足して死ねただろう。

 それが今では、どちらにも与することの出来ないただの負傷兵だ。自責の念で日々憂鬱に過ごしているのを、左近に見せるのが辛かった。左近の優しい心が、私のことで悩むのが辛かったのだそれでも私は自害しないようにするだけで精一杯であった。
 死なない理由は、慶次殿との約束と、自分自身への戒めだけ。

 そうして、それは意外と早く訪れる。

、いるか?」
「はい、おりまする」
「入るぞー」

 秀吉殿は石田殿を連れ、私と左近がいる部屋へ入ってきた。暗く沈んだ我々とは異なり、いつも通り明るく、秀吉殿は切り出す。

「傷の具合はどうじゃ?」
「おかげさまで、すっかり」
「そうか、なら今度の戦も、わしと戦ってくれんか?」
「……」
「まあ、そうなるわな」

 答えない私に石田殿は軽蔑の視線を投げかける。それでも答えられないし、私の過去を知らない彼には軽蔑されて当然だ。秀吉殿も私の仔細を知っている。だからこそ、こうやって問いかけている。私は唇を強く噛む。

「あー、言いたくはないんじゃが、孫のこともある。あとお前さんの天花は、今わしが持っとる」
「!!」
「よーく考えてくれ、な?
「…はい」
「邪魔したな、左近」
「いえ」

 苦い顔をして去っていく秀吉殿を、私は頭を下げて見送ることしかできなかった。石田殿が憤慨しているのが見て取れる。その姿を見た左近が、そっと部屋の外へ彼を連れ出した。左近なら上手く伝えてくれるだろう。

 これが毛利や徳川なれば、話は別なのだ。私には柴田とは戦えぬ理由がある。薄荷の者や他里にはほとんど伝えていないが、私は織田家に人質として送られた時代がある。そして送られた先は、北ノ庄、つまり柴田勝家の元だった。


 勝家様は私の父、そう思って生きてきた。


20141118 了
20200623 加筆修正



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