薄荷攻め、本能寺の変、山崎合戦と怒涛の数か月を過ごし、唯一の家族である孫市兄様に生きて会うことができた。
 緊張の糸が切れ、安心した私は泥のように眠った。



 意識がはっきりしたのは再会から数日後。左近が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたおかげで、すっかり良くなった。

「姫、目が覚めましたか」
「ありがとう左近、もう大丈夫だ、」
「ここは三成さんの管轄のお屋敷で、孫市さんは秀吉さんに会いに大坂城へ、慶次さんは散歩、あと昨日あなたに来客がありましたが、また出直すそうです」

 聞きたいことを、聞く前に全て答えてくれる。左近には本当は頭が上がらない。今、何かご飯を用意してきます、と左近は話して部屋を去って行った。私は起きて布団を畳み、肩の具合を確かめる。傷は深く、まだ本調子とはいかないようだ。今は銃を撃てるような肩ではなく、利き腕のほうを負傷したのは痛かった。左近の用意してくれたご飯を食べ終えると、屋敷の主である石田殿が部屋を訪ねてきた。

「! 目が覚めたのか」
「長い間世話になった。私のようなものを置いておいてくれて感謝する」
「世話をしていたのはそこの男だ。俺は何もしていない」
「素直じゃないですねえ、三成さんは。で、どうしたんです?」
「真田の若者が来ている。あとこれを」

 幸村殿が生きていたことに私は俄かに喜ぶ。そして石田殿からすっと差し出されたのは六花だった。

「お前がもう一丁、銃を持っていたのは知っている。だが探したが見つからなかった」
「…本当に、恩に着る」

 三つ指を立てて頭を下げた。
 私が戦で使用し、汚れているはずのその銃は、いつか孫市兄様から手渡されたあの日のように、綺麗に磨かれていた。石田殿は仕事に戻る、と言い颯爽と部屋を去った。その後すぐに廊下を走る音がして、心地よい音を立てて襖が開く。

殿!」

 幸村殿は私の名を叫ぶと、目線を下に向けて姿を確認し、そのまま私へと飛び込んできた。その熱烈な歓迎っぷりに左近は声を上げて笑う。私もただ驚くばかりで、幸村殿の抱擁を受け入れるしかなかった。

「…約束、守れましたね」
「そう、ですね、」

 どうしてもこの人の前では涙を浮かべそうになってしまう、似たもの同士の私たち。生きている、生きている、と小さくつぶやく幸村殿の心情を察すれば、辛くない訳がなかった。私が生きていることを喜んでくれる人がいる。初めての経験だった。嬉しいと思った。心から、嬉しいと。幸村殿は私を離して畳に座り直し、話があると言った。

「私は、上田に戻ろうと思いまする」

 天目山での戦で滅びた武田氏であったが、国を守るため信長に恭順していた真田氏。しかし信長無き今、旧武田領は空白地帯である。それを奪い返すために、上杉と手を結ぶようだ。そのために一度父上の元へ戻ると言った。

「また…お会いできる気がします。今度も、仲間として」

 幸村殿はまた力いっぱいの抱擁をして、静かに去って行った。隣で左近が目を丸くして問いかける。姫、いつからそんなに男に好かれるようになったんです、と。

「…分からない」
「おや、珍しい。姫が肯定するなんて」

 分かるのは、時間が過ぎ、すべての戦いは次の戦につながっているということだけだ。

 夜になり、風呂を借りて寝室として借りている部屋に戻ってきたその時だった。

「誰だ」
「…機敏だねえ」
「…慶次殿」

 背後に感じた侵入者の気配は慶次殿であった。しかし、私の知っている慶次殿と幾分か雰囲気が違っていた。だから私は戦慄していた。漠然とただ、怖かった。何かがおかしいということは、勘で分かっていた。それが女の勘なのか、武人としての勘なのか、そこまでは計れない。

「きっとお前さんは今から迷うだろう、だがこうなることは運命だったんだ」

 俺とお前が出会ったその時に決まった、定めなのだと。

 慶次殿は襖を閉め、初めて手合わせしたあの時の様に、私を腕の中に閉じ込める。頭はやはり、上げることが叶わぬ。

「…
「…はい」
「俺は明日、利家のところへ戻る。……… もうすぐ、勝家と秀吉の戦が起きる。」

 絶句した。
 深い悲しみが私を襲った。
 分かっていた。こうなることは分かっていたはずだ。後継者争いは、必ず起きると、分かっていたはず。なのに。
 身体が震えた。慶次殿に支えてもらわなければ立っていられなかった。また大切な人を失うかもしれない。そう思うとこの不甲斐無い自分を自分で責めて、壊れてしまいそうだった。

「…わ、たしは、一体、どちらに…」
「どっちにしても、辛いのは分かる。俺だってこんな戦はしたくない。だがな、今を生きる俺たちには選択する義務ってもんがあるのさ」
「い…っそ」
!…俺と約束しただろう?生きる、って」

 死にたい。死んでしまいたい。でもそれは不義だ。この人と、生きる、と約束したのだから。
 それでもこの感情をどうしたらいいか分からなくて、私は慶次殿にしがみ付いた。またあの時のように、泣きじゃくった。慶次殿はより一層力強く私を捕まえる。

「必死になれ。生きろ。いいか、守りたいもんがあるなら、自分でなんとかするんだ。なあに、俺はそう簡単には死なない。だから、」
「……っ、あ」

 込み上げてくるのは嗚咽だけで、もう何も話せなかった。気がついた時にはもう慶次殿はいなかった。朝が来ていた。忘れ形見のように、彼の脇差が一本、傍に置いてあった。


20120822 了
20200623 加筆修正



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