女の戦さ人は、俺の目の前で意識がなくなった。慌てて抱き起こせば、ただ眠っているだけのようだった。
 良かった。俺は安堵した。この御仁に「惚れた」なんて言ったら、彼女は何て言うのだろう。

武士の道


 俺は織田家武将として、この薄荷攻めに参加していた。否、正しくは参加させられていた。利家が煩かったから、ただそれだけだ。小さな里を攻めるなんざ、只の弱いもの苛めじゃねぇか。俺はそんな戦は好きじゃねえ。互いに力比べをするのが戦であって、これは違う。
 だが行かねばまた面倒なことになる。いやいやながら出陣すれば、なかなか骨のある御仁が俺に向かってきた。それは若い軍団長で、しかも女だった。武人はと名乗っていた。

 雑賀・根来に次ぐほどの実力集団だとは聞いていたが、薄荷衆と戦うのは初めてだ。は小さな身体で、俺となかなかに渡り合っていた。少しは愉しめそうだ。いつしか俺も熱くなってきていた。

「あァ、楽しいねぇ」

 ふと溢した本音。ついでにこの武将の感想でも聞こうと思った。

「アンタは、楽しくないかい?」
「…ああ、楽しいぞ。前田殿」

 こりゃあたまげた。圧倒的不利な戦場において、楽しいなんざ口にするなんて、なんて肝の据わった娘だ。気に入った。死なせるには惜しい。また戦いてぇ。他にもこの里にはこんな奴がごろごろ居るのか?なんて面白い里だ。いいねぇ。
 俺が戦闘を放棄しようと思ったその時、不覚にも伝令が策の準備が完了したと伝えてきた。

 くそ!なんてことだ!矛を握る手に力が入る。
 もう本陣の奴らはだめだ。せめてこの御仁だけでも助けなければ。俺は薄荷の魂を受け継ぐ者を少しでも生かしたかった。

 すぐさま俺は娘を腕の中に封じ込めた。仮にも武将だ、今すぐに救援に向かいたいだろう。だが俺はそうはさせなかった。俺の利己心かもしれねぇ。それでもこの御仁を失いたくなかった。俺が認めた強い武士だ。そう簡単に死なせやしない。
 すぐに、薄荷の本陣が炎に飲まれる。

「…前田殿、これは」
「織田軍の火計だ」
「何?! あそこには、頭領や多くの兵が」
「だから狙われたんだ」
「前田殿!離してくれ!私は本陣へ行く!」
「行ってどうするつもりだ!」

 つい大声を出してしまった。アンタが行って死ぬのは御免だ。俺はなるべく落ち着いて、言葉を紡いだ。

「行って、どうするつもりだ? お前さんには何にも出来やしない。爆発音、何回かしただろ? …あれが何を意味するか、アンタにゃ分かるはずだ」

 俺は織田軍を憎んだ。
 今から寝返ってやろうかとも思ったが、俺が炎に入ったとしても、が本陣に突っ込んだとしても、武将が二人余計に死ぬだけだ。

「…行かせてくれ。さもないと、私は」
「ダメだ。そうはさせない」

 だから、行くな。この娘を失うのが、何故かひどく怖かった。それでもは義を貫こうとする。
 …義は、力に屈してはいけない。アンタは、生きるべきなんだ。信長は、それが怖いんだよ。「義」というものが。だから必死で武田や朝倉と戦ってる。

 腕の中で暴れるこの武将を、俺は必死で捕まえていた。

「ではせめて、見せてくれ。燃え盛る我が里を……」
「アンタには見せられねぇ。あそこは今…地獄と化した」
「前田殿!……頼む、頼むから…」

 泣きながら頼むに、心は大層揺らいだ。だがこの娘を失っては、いけない。この娘が秘めたる義こそ、天下に必要なんだ。 俺の心には、根拠のない自信が溢れていた。
 始めはつわものを失いたくないとだけ思っていたが、どうやら俺は完全にこの御仁に惚れちまったらしい。絶対に放さねぇ。アンタが泣くのは見たくねぇが、我慢してくれ。しかしはどうしたらよいのだ、と心をどんどん掻き乱していく。

「…私は、馬鹿だ……大馬鹿者だ…」

 苦しいだろう。だがアンタが死ぬ事は、薄荷の頭領も願ってはいないはずだ。
 俺はを抱き締め、そっと背中を撫ぜた。そのくらいしか、今の俺には何も出来ねぇ。しかし、こうする事が、この御仁にとっては敵に慰められてることになる。追い込んでしまうかもしれない、そうは思うのだが、この娘を一人にはしておけないのだ。

 薄荷の伝令が、頭領の死を告げる。その言葉では、今の立場を認識した。

「前田殿、私の負けだ…。私の命は好きにするが良い。だが、少しだけ、彼等に情けをかけてくれ」

 俺はゆっくりと腕を解く。矛は手に取らなかった。もう俺はや薄荷と戦う気はなかったが、御仁にとっては衆の為に投降したことになるのだ。涙を飲んで、薄荷の生き残り達に叫ぶ彼女を、俺はただ黙って見守る。

「…薄荷の者よ、よく聞け!只今をもって薄荷は解散だ!――逃げよ!逃げて生き延びよ!」
「ですが!」
「構うな!」
「いいから逃げよ…私の願い、頭領の願いは、薄荷の兵が生きることだ……最期の頼みくらい、聞いてはくれまいか」

 それでも彼らは動こうとしなかった。辛そうな女武将の姿が見ていられなくなって、俺は口添えしてしまった。

「…この御仁はアンタらの為に、敵に命預けて逃がそうとしてんだ。逃げな。アンタらの為に、死よりも恥ずかしい投降の道を選んでるんだ。分かってやりな」

 薄荷の者達は、思い思いに別れを悲しみながら、撤退を開始した。勇敢な最後の軍団長の背中は、ひどく小さく見えた。しかしその志は大きいと、薄荷の全ての者が感じただろう。それでも火は止むことなく、低い唸り声を巻き上げながら、里を焼き尽くしていくのであった。


20081116 第四話 了
20190817 加筆修正

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