夢であればいいと思った。
 眼を瞑って、もう一度開いたら、いつもの雑賀の里が広がっていると思った。
 否、思いたかった。
―――それは二ヶ月前の、悪夢。

春望



「どうなってんだ…」

 焼けた里。廃墟と化した里。生きている者は、誰も居ない。俺が本願寺と一緒に戦っている間に、雑賀の里は襲われて、皆死んでしまった。頭がくらくらする。もうどうしたらいいか分からなかった。
 歩けば目に付くのは命を失ったものばかりで、呼吸をしているのは俺だけだった。

 ごそごそ、と音がする。俺は瞬時にふらついた意識を取り戻した。音のする方向を見れば、一人の男が地に伏していた。急いでそこへ向かう。

「おい、しっかりしろ! 何だ、何があった!」

 男は答えない。死んでいる。生きていたのは子犬だった。子犬は言葉を話せない。全てを見ていても、俺には何も分かってやることは出来ないのだ。

「くそ…くそッ!」

 悔しくて、涙が出た。どうしても、今見ているものを認めたくなかった。いつの間にか手のひらは拳を作っていて、俺は行き場のない怒りを地に打ち付ける。
 見せしめのように、木っ端微塵にされた雑賀。燃え尽きた家屋。地に伏せる仲間。溶けた種子島。そして俺を混乱させるのは、襲ってきたのが織田軍であるということ。

「――何故なんだ…どうしてなんだよ秀吉?!」

 血に塗れた里には、もう何も無かった。煙を含んだ黒い雨が降る。俺を迎えてくれる奴らは、死んでしまった。俺の守ってきた全てが、それが灰と化してしまった。里が、潰えた。

「…孫市、すまない」

 物陰から秀吉が現れた。
 一番見たくないツラだった。お前だけは、お前だけは、この戦に参加していないことを俺は願っていたんだ。雑賀が信長には襲われる可能性はあった。本願寺側として幾度も戦いをしてきたんだ、いつかはこうなる覚悟も心のどっかにはあった。だがな…どうして今なんだ?どうしてお前がそこに居るんだよ…

「雑賀の鉄砲隊は危険だった。潰さにゃいかん存在だった」

 もう、いいよ。
 何も聞いていないのに、秀吉はそれでも、まくし立てる様に話す。俺はただ、呆然と立ち尽くしていた。

「じゃが、じゃがここまでする必要はない…
 これは見せしめだ…信長様に逆らうもんはこうなるっちゅー見せしめじゃ… その白羽の矢が立っちまった…」

 もう、いいって。

「どうすることも出来んかった。わしにゃあ、信長様は」
「言うな」

 俺は耐え切れなくなって、秀吉に言った。段々と心が落ち着きを取り戻して、酷く冷たくなっていく。それでも、苦しいという感情は、いつまで経っても消えなかった。
―――すまない。

「俺のせいだ。俺の不注意がこいつらを死に追いやった。そのケツは俺がとらなきゃならねぇ」

 銃を秀吉に、本気で向けた。指は勿論引き金に掛かっている。
 俺の心に一つの決意が渦巻き始めていた。それは波乱に満ちた、嵐のような意志。

「やめてくれ 孫市」
「無理だぜ。……もう、笑えねぇ」

 俺の目から、色が消えた。
 そうさ、色なんて無くなればいい。そしたら赤い炎も、赤い血も、見なくて済むんだから。

―――なあ 秀吉。

 秀吉は黙ってその場を去っていった。ダチとして最低な行為をした後、俺はそこから動けなかった。三日三晩、月を肴に涙を流した。他にすることがなかった。俺は最低な人間だ、ただただそう思っていたら、時間だけが過ぎていく。

「…孫市殿!これは…?!」

 他の国へ仕事に行っていた薄荷衆が戻ってきたらしい。あいつらは人数が少ないから、遠征となると全員総出で戦いに行く。だからこの状況を知らなかったようだ。
 血相を変えてやってきたのは薄荷の頭領だ。炊事の煙も、狙撃練習の音も、ガキの声も、町の気配も、何も無いことに気づいたんだろう。一人で来んのもやっぱ賢い。

「日京…やられたぜ……俺の居ない間に…」

 ぼろぼろでダサい俺。駆け寄ってきた日京に、汚ねえツラを晒して言った。

「分かってんだけどよ、どんなに祈ってもあいつらは帰ってこないしよ、俺にはもう何もねぇ。お前らの目標である雑賀衆がこんなんじゃあ、ダメだよなぁ」

 嘲笑する俺に、日京はぴしりと言い放った。

「何をおっしゃいますか!それでも貴方は雑賀孫市ですか?!」
「………」
「私が知っている雑賀孫市は、どんな時でも諦めない男です」
「……日京、」

 雑賀孫市はそんなカッコイイ奴じゃない。それでも日京は俺に手を差し伸べてくれた。
 その手を握るのをためらっていると、日京自ら俺の手を引っ張り、立ち上がらせた。そして真っ直ぐな双眸を向け、こう言った。どんなに落ちぶれても、貴方は死ぬまで雑賀孫市、雑賀衆の頭領なのですぞ、と。

 その日のうちに、俺は堺に匿われた。
 人が多い堺で、静かにしていれば暫くは見つからないだろう、という日京の判断だった。疲弊仕切って考える力が少しも残っていなかった俺は、言う事を聞くしかなかく、それからは知らない地で、生ける屍として生きていた。

に再会するまでは。




20081220 了
20200623 加筆修正

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