目を覚ますと、前田殿がそこにいた。起きたかい、と声を掛けられる。
ああ、と力なく返事をした。やはりあの光景は夢ではなかったのだ。眠っていたときにはよほど疲れていたのか、何も夢など見なかったのに。突如現実に引き戻されたような感覚だった。
起き上がると、前田殿は何かを差し出した。
暗がりの部屋なのですぐには何か分からなかったが、それが頭領の好きだった濁酒だと気づいた。それから竹の皮に包まれた握り飯。
前田殿に尋ねると、此れは薄荷の伝令が此処まで持ってきたのだという。
「私が生きていると、信じてくれたのか…」
信じたのは私のことだけではない。この前田殿のことも信じたのだ。
「アンタ、慕われてるんだな」
「…そう、らしいな、」
嬉しかった。だが同時に苦しかった。彼とはもう会うこともないだろう。私はただ唇を噛みしめる事しか出来ない。口内はまだ血の味がした。
「…前田殿。死ぬる前に、里の者の墓参りをしても構わないか?」
前田殿はあっさり許してくれた。
私は礼にと、握り飯を渡した。アンタも食べてないんじゃないのか、と言われたが、もうそんなことはどうでもよかった。腹は当の昔に空ききっていて、私はひどく痩せていた。
小屋の扉を開ければ、里は雨に包まれていた。今はそれほど激しくないが、地面には幾つもの水溜りが出来ていた。外に出て初めて、此処が里近くの火薬庫だと気づく。私は真っ直ぐ、里内部へと向かった。片手には濁酒を持って。
道はひどくぬかるむ。足が土にのめり込む感触が、まるで仲間が助けを求めているような気がして、また自分の無力さに苦しくなるのだった。
薄荷攻め最大の戦場と化した我が本陣は、大方炎で燃えつくされていて、ほとんど何も残ってはいなかった。骨すらも余り見当たらない。よほどの火力であった事が一目で分かる。ぐにゃりと溶けた火縄銃が、全てを物語っていた。
里の今を、目に焼き付けようと、紅蓮の跡を重い足取りで歩いた。泣いてしまえば、今が見えないから、必死に我慢して、一歩一歩進んでいく。
「…里の石碑」
それは先頃、私が仕事で貰った金で建てた、薄荷の里の名を刻んだ石碑である。此れだけが、無事であった。
悔しさでいたたまれなくなった。こんなものは残らなくていいのだ。こんなものがが残っていても仕方ないのだ。遣る瀬無い思いが溢れてきて、私はその場に座り込む。
そうして目の前の石碑に自分の拳を叩きつける。思い切り殴ると、手の甲は血で滲み、ひどく鈍い痛みが体を貫いた。——私だけが生きている。その真実が自分を呪う。
すると石は水飛沫を伴って、ごとりと倒れ落ちた。幾ら炎を浴びているとはいえ、これほど簡単に倒れるわけがない。不思議に思い、土台の方を覗き込めば、そこには頭領が使っていた、特殊銃の姿があった。慌てて倒した石碑を見る。表は普段と変わらない。急ぎ裏返してみた。
すれば見慣れぬ刀傷の文字を見つけた。
“生きよ”
あの業火のなか、頭領は私に全てを託して死んだのだ。
言葉にならない思いが頭を駆け巡る。死して詫びたい気持ちと、薄荷衆の思いを胸に生きるのと、私はどちらを選べば良いか、判断が出来ない。
死のうと思っていた。武士として、死のうと思っていたのに、敵の前田殿は私を助け、頭領は生きよと告げる。
考えが堂々巡りになっているとき、片手に持った濁酒に気づく。今は私の事などどうでもいいのだ。
土台の窪みに隠し納められていた頭領の銃を取り出し、そこに少し白い酒を注ぎ込む。そして石碑を起こしし、横にきちんと並べ置いて、懇ろに弔った。
「…すみませぬ、頭領」
雨に濡れながら、唇を噛みしめた。
「…そんな顔しなさんな」
「! …前田殿」
後ろから不意に声がして、心底驚いた。気配を消していた訳ではなかろうに、見事に気がつかなかった。彼は私が持っていた酒を取って、豪快に飲む。
「折角の墓参りなんだ。アンタの頭領だって、アンタの笑顔が見たいはずだ」
そう言われても、今の私には笑う資格なぞ無い。
皆を死なせておいて、何故笑っていられよう。本当に、私にはもう何も残っていないのだ。幼き日の記憶のない私にとって、薄荷が全てだったのに、兵を助ける事も殆ど出来ず、里を守ることなんて微塵も出来ずに終わった。
兎に角、と前田殿は続け、私に酒を突き出して言った。
「頭領や仲間との別れの宴だ。少しぐらい付き合ってやりな。死出の道じゃあ、酒なんてねぇだろうからな」
彼は私の頭をがしがしと撫で、それでも動かぬ私を見て、痺れを切らしたらしい。私の顎を掴むと、無理やり酒を注ぎ込んだ。
(! しまっ………)
私だって、頭領や仲間を送る酒くらい飲みたいが、残念な事に一滴も酒が飲めぬのだ。
前田殿が私の名を呼ぶ声を遠くに聞きながら、私は混沌とした世界に落ちていった。
20081119 第六話 了
20200623 加筆修正
ああ、と力なく返事をした。やはりあの光景は夢ではなかったのだ。眠っていたときにはよほど疲れていたのか、何も夢など見なかったのに。突如現実に引き戻されたような感覚だった。
にごり酒
起き上がると、前田殿は何かを差し出した。
暗がりの部屋なのですぐには何か分からなかったが、それが頭領の好きだった濁酒だと気づいた。それから竹の皮に包まれた握り飯。
前田殿に尋ねると、此れは薄荷の伝令が此処まで持ってきたのだという。
「私が生きていると、信じてくれたのか…」
信じたのは私のことだけではない。この前田殿のことも信じたのだ。
「アンタ、慕われてるんだな」
「…そう、らしいな、」
嬉しかった。だが同時に苦しかった。彼とはもう会うこともないだろう。私はただ唇を噛みしめる事しか出来ない。口内はまだ血の味がした。
「…前田殿。死ぬる前に、里の者の墓参りをしても構わないか?」
前田殿はあっさり許してくれた。
私は礼にと、握り飯を渡した。アンタも食べてないんじゃないのか、と言われたが、もうそんなことはどうでもよかった。腹は当の昔に空ききっていて、私はひどく痩せていた。
小屋の扉を開ければ、里は雨に包まれていた。今はそれほど激しくないが、地面には幾つもの水溜りが出来ていた。外に出て初めて、此処が里近くの火薬庫だと気づく。私は真っ直ぐ、里内部へと向かった。片手には濁酒を持って。
道はひどくぬかるむ。足が土にのめり込む感触が、まるで仲間が助けを求めているような気がして、また自分の無力さに苦しくなるのだった。
薄荷攻め最大の戦場と化した我が本陣は、大方炎で燃えつくされていて、ほとんど何も残ってはいなかった。骨すらも余り見当たらない。よほどの火力であった事が一目で分かる。ぐにゃりと溶けた火縄銃が、全てを物語っていた。
里の今を、目に焼き付けようと、紅蓮の跡を重い足取りで歩いた。泣いてしまえば、今が見えないから、必死に我慢して、一歩一歩進んでいく。
「…里の石碑」
それは先頃、私が仕事で貰った金で建てた、薄荷の里の名を刻んだ石碑である。此れだけが、無事であった。
悔しさでいたたまれなくなった。こんなものは残らなくていいのだ。こんなものがが残っていても仕方ないのだ。遣る瀬無い思いが溢れてきて、私はその場に座り込む。
そうして目の前の石碑に自分の拳を叩きつける。思い切り殴ると、手の甲は血で滲み、ひどく鈍い痛みが体を貫いた。——私だけが生きている。その真実が自分を呪う。
すると石は水飛沫を伴って、ごとりと倒れ落ちた。幾ら炎を浴びているとはいえ、これほど簡単に倒れるわけがない。不思議に思い、土台の方を覗き込めば、そこには頭領が使っていた、特殊銃の姿があった。慌てて倒した石碑を見る。表は普段と変わらない。急ぎ裏返してみた。
すれば見慣れぬ刀傷の文字を見つけた。
“生きよ”
あの業火のなか、頭領は私に全てを託して死んだのだ。
言葉にならない思いが頭を駆け巡る。死して詫びたい気持ちと、薄荷衆の思いを胸に生きるのと、私はどちらを選べば良いか、判断が出来ない。
死のうと思っていた。武士として、死のうと思っていたのに、敵の前田殿は私を助け、頭領は生きよと告げる。
考えが堂々巡りになっているとき、片手に持った濁酒に気づく。今は私の事などどうでもいいのだ。
土台の窪みに隠し納められていた頭領の銃を取り出し、そこに少し白い酒を注ぎ込む。そして石碑を起こしし、横にきちんと並べ置いて、懇ろに弔った。
「…すみませぬ、頭領」
雨に濡れながら、唇を噛みしめた。
「…そんな顔しなさんな」
「! …前田殿」
後ろから不意に声がして、心底驚いた。気配を消していた訳ではなかろうに、見事に気がつかなかった。彼は私が持っていた酒を取って、豪快に飲む。
「折角の墓参りなんだ。アンタの頭領だって、アンタの笑顔が見たいはずだ」
そう言われても、今の私には笑う資格なぞ無い。
皆を死なせておいて、何故笑っていられよう。本当に、私にはもう何も残っていないのだ。幼き日の記憶のない私にとって、薄荷が全てだったのに、兵を助ける事も殆ど出来ず、里を守ることなんて微塵も出来ずに終わった。
兎に角、と前田殿は続け、私に酒を突き出して言った。
「頭領や仲間との別れの宴だ。少しぐらい付き合ってやりな。死出の道じゃあ、酒なんてねぇだろうからな」
彼は私の頭をがしがしと撫で、それでも動かぬ私を見て、痺れを切らしたらしい。私の顎を掴むと、無理やり酒を注ぎ込んだ。
(! しまっ………)
私だって、頭領や仲間を送る酒くらい飲みたいが、残念な事に一滴も酒が飲めぬのだ。
前田殿が私の名を呼ぶ声を遠くに聞きながら、私は混沌とした世界に落ちていった。
20081119 第六話 了
20200623 加筆修正