死にたかった。もう俺には何もなかった。
俺は織田信長を殺したんだ。

叛逆の代償



「気ぃついたか、孫市」
「秀吉」

 目が覚めると、そこには本物の秀吉がいた。俺はどこかの物置小屋で寝かされていて、外は雨が降っているようだった。
 少し暗い部屋の中。俺と秀吉は二人っきりのようだ。静かに腹を括る。

「これからわしは天下をかけて光秀と戦だ」

 そうだ。俺は信長を殺した。そのことが、秀吉の言葉で現実味を増していく。いや、現実味を増す、ではないな。夢でなかったことが、俺の中できっちりと認識されていく感覚に、頭が重くなる。

「孫市、手ぇ貸してくれ。お前の力が必要だ」

 秀吉は一体誰に向かって話しているんだ?俺だよな?

「どした、孫市? 返事くらいできるじゃろ?それともまだ加減悪いんか?」 
「うるせえ!何言ってやがる!」

 俺は飛び起きて秀吉に捲し立てた。
 何でコイツはこんな冗談が言える!俺が誰だか分かって言ってるんだよな?
 いや、分かってるからこそ、こんなことを言うのだ。俺にはもう何もない、ただ奪ってしまったことだけが、俺を締め付ける。

「信長、殺したのは俺だ! お前が慕ってたあの…チッ、なのになんだお前? 力を貸せ? はあ? さっさと俺を殺せよ!」

 いっそ殺されたかった。もう考えるのも疲れたんだ。信長は俺の仇で、仇を取った俺は秀吉の仇って訳だ。だからお前に殺されて当たり前のところにいる。俺は死ぬべきだ。
 そしたら秀吉は、今まで聞いたこともない沈んだ声音で言った。

「それで何が変わる? お前殺して何が変わる?…そりゃ信長様撃ったお前は憎い! だがな…ダチ殺して何が変わる? 何も変わらない…信長様も帰ってこなければ世界も何も変わらない お前が居なくなるだけだ!」

 秀吉は俺の胸倉を掴んで捲し立て、突き飛ばした。背中に鈍い痛みが走る。

「だから…お前が変わると答えても…わしはお前を殺さない」

 …どうしてそんなこと言うんだよ。どうして殺さない、なんてことをお前が言うんだ。
 俺は、お前の主を殺したってのに。何も変わらない、そう、何も変わらないのに、俺は、殺したんだ。なのに俺はまだ人間として生きていて、自分で選んだことで苦しくて、辛くて、涙が出る。

「秀吉、つれえよ…」

 声を出すのも苦しいくらいに、頭がぐらぐらと揺れた。いっぱいいっぱいだった。

「信長はやっちゃならないことをした、だから俺はあいつを撃った、それがいいと思った、それしかないと思った…!だけど何もよくならなかった…」

 くそ!…何でだ?! 何でこんな…
 膝から崩れ落ちていく。何も変わらない。何もよくならない。俺が得たのは、ただの人殺しという称号と、己の無力感だけで、あとはすべてを失った。町が荒れたのも俺のせいだ。どうしたらいいかわからない。ただただ辛かった。涙が出てきて、脳裏に濃姫と蘭丸が一瞬写る。
 すると秀吉が俺の頭に手を置いた。

「わしがケツとったる」
「信長様殺したお前の業、わしが背負ってやる」

 俺には何も言えなかった。コイツの器のデカさにただ、触れることで精いっぱいだった。

「だから孫市、皆が笑って暮らせる世、わしと築いてくれや」
「秀吉…」

 秀吉は俺のもっとずっと先を見ていた。秀吉はずっと変わっていなかった。一緒に遊んで、戦って、肩を並べていたときと一緒の笑顔を、この俺に向けてくれる。

「笑え!孫市! 皆が笑って暮らせる世、わしらが笑わんで何で築ける? だから笑え、孫市」

 明るく笑う秀吉に、俺は歯を噛み締めてからつぶやく。

「…笑えねえ」

 差し出された手を、俺が握る資格はもうない。

「笑えねえけど嬉しいぜ…お前がダチでよかった」


――雨が降りしきる夜に交わされた会話を知る者が、そこには二人いた。
 秀吉と孫市がいる小さな小屋の裏側。屋根もなく、降りしきる雨の中、ただじっと、中の様子を伺っている者たちがいる。

「これで、いいのか貴様は」
「…構わぬ。すまないな、三成殿」
「名前で呼んでよいなどと言った覚えはないが」
「…そうだな、誠に申し訳ない、石田殿」
「…別にどちらでも構わんが。もういいだろう、そろそろどこかで休め。ここで貴様に風邪を引かれては、羽柴の戦力が下がるからな」
「それもそうだ。貴殿こそ無理はせず、せめて雨を避けられよ。では」


 三成はその女の姿が見えなくなると、顔を空へと向ける。冷たい雨だった。


20120301 了
20200623 加筆修正



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